yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

味方玄師の舞囃子「自然居士」in 「大倉流祖先祭 大槻能楽堂に感謝を込めて」@大槻能楽堂 6月4日

この会は、能の小鼓方、人間国宝の大倉源次郎師のお社中会、つまりお弟子さん方の発表会。とはいうものの、京都、大阪のトップ能楽師の方々が謡、仕舞、舞囃子、でお弟子さんたちをサポートされる。また、源次郎師も終始お弟子さんの背後に付いておられた。午前11時に始まり、午後6時過ぎまでという長丁場。こんな贅沢な舞台を無料で拝見していいのか。「もったいないし、申し訳ないね」と、帰りの車中で連れ合いと言い合った。味方玄師の「自然居士」と片山九郎右衛門師の「邯鄲」、大槻文蔵師の「鷺」、そして金剛流、金剛龍謹師の「淡路」がとくに心に響いた。5時半に退出したので、終盤近くに配されていた源次郎師ご子息、大倉伶志郎さんの舞台をみる(きく)ことができなかったのが、残念至極。

味方玄師単独の舞を拝見するのは、この4月の大津伝統芸能会館で玄師シテの『西行桜』以来。この舞囃子も、素晴らしい舞台だった。舞囃子なので、かなり長く舞われた。それをワクワクしながら見るという幸福を、思う存分味わった。

 以下が演者の方々。

シテ    味方玄

小鼓    若狭裕子

大鼓    山本哲也

笛     斎藤敦

地謡    片山九郎右衛門  寺澤幸祐  大槻裕一 

舞囃子でも、本舞台と同じく数珠、鞨鼓を使うのが、興味深かった。鞨鼓を打つなんて、まるで歌舞伎の「娘道成寺」!歌舞伎では白拍子花子の可愛さがひきたつ場面。能でも所作がひときわ引き立つところ。もちろん音は出ないので、代わりに鼓が音を打ち込む。舞いながら打つというのは、おそらく猿楽発生過程のはじめの頃にあったものだろう。今の能には失われてしまった古形の名残なのだろうか。

人買い男たちによって連れ去られた少女を奪い返した自然居士(シテ)が、男たちに「交換条件」として差し出したのが、自らの舞だった。自然居士が意を決して舞った舞。『銕仙会能楽事典』からこの部分の解説をお借りする。

颯爽と舞って見せた居士に、男たちは更に注文をつける。「次は簓を擦って囃し、芸をしてお見せなさい」 もとより船中には簓など無い。居士は扇の骨と数珠とを擦って囃し、注文通り、簓に見立てて芸をする。「そもそも簓とは、昔ある僧が扇の上の葉を数珠で払ったことに始まるとか。さあ、私もそれを真似してお見せしましょう…」 居士は懸命に簓の芸を見せ、簓ならぬ手を擦って少女の返還を求めるのだった。

そんな姿をあざ笑うかのように、男たちは次なる課題を出す。「ならば次は鞨鼓を打ってお舞いなされ」 今度こそ、彼女を返してくれるはず。居士は鞨鼓打ちの真似事をし、度重なる屈辱に耐えつつ芸の限りを尽くすのだった。

やがて、船は対岸に着いた。今こそ彼女を迎え取るとき。居士は男たちに別れを告げると、少女の手を引き、都へと帰っていったのだった――。

 数珠と扇を簓に見立てての芸。ここでのシテ、玄師の舞は、居士の必死さ、真摯さがよく伝わるものだった。と同時にちょっとおかしみもあった。その雰囲気は鞨鼓を打ちながらの舞にも引き継がれていて、普段見ている能とはまた違った感興があった。僧と舞との一見ありそうもない取り合わせ。でも中世では貴族も僧侶も、「乱拍子」を舞ったとか。*1

そういえば、能の『安宅』ででも歌舞伎の『勧進帳』ででも、僧侶の弁慶は「延年の舞」を舞うのですよね。ひとり、納得していた。 

*1:沖本幸子著『乱舞の中世 白拍子・乱拍子・猿楽』(吉川弘文館、2016年)