yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

観世寿夫師が透けて見えた浅見真州師の能『砧』@パリ市「シテ・ド・ラ・ミュージック」2019年2月8日 NHK eテレ2019年4月27日放映

浅見真州師のシテの哀しみが切々と迫ってきた。自然と涙が溢れた。世阿弥作だという。さすがの詞、そして構成である。

 以下、NHKのサイトから。

パリで行われた能楽公演から、世阿弥の屈指の名作、能「砧(きぬた)」(観世流)をお送りする。出演:浅見真州ほか/2019年2月8日 シテ・ド・ラ・ミュージック収録

 

番組詳細

日仏友好160周年を記念してフランスで開催された、日本文化紹介イベント『ジャポニスム2018』から、観世流の能「砧(きぬた)」をお送りする。▼夫の帰りを待ちわび、その寂しさから命を落とした妻の切ない心を描く、世阿弥による屈指の名作▼出演:浅見真州、宝生欣哉、能村晶人、杉市和、成田達志、國川純、小寺佐七 ほか▼収録:パリ市「シテ・ド・ラ・ミュージック」(2019年2月8日)▼副音声解説:三宅晶子  

出演者は以下。

シテ(芦屋某の妻)     浅見真州 

シテツレ(侍女夕霧)    浅見慈一 

ワキ(芦屋某)       宝生欣哉 

ワキツレ          則久英志 

アイ(下人)        能村晶人

  

笛      杉市和

小鼓     成田達志

大鼓     國川純

 

地謡     小寺佐七 武田宗和 梅若紀彰 浅井文義

       岡久広 片山九郎右衛門 味方玄 松山隆之ほか

以前に観世寿夫師にもっとも似ておられるのが浅見真州師だと聞いたことがある。最初に橋掛りから登場された時から、それは偲ばれた。品のある佇まいの中に、この女性の裡に込められた悲しみの念の重さを表現されていて、DVDでみた寿夫師の『井筒』での登場を思い出していた。京都に行ったきり、三年経っても帰ってこない夫。「忘れられた」悲しみが胸を打つ。

同じ世をだに忍ぶ草 われは忘れぬ音を泣きて
袖に余れる涙の雨の 晴間稀なる心かな*1

 夫が今年も帰らないことを伝えに都から戻った夕霧への恨み節も、なんとも切ない。次の箇所では都の華やかさと鄙のうら寂しさが対比されている。シテが思い描く「都」は常に花盛りなのに対し、彼女が今いる鄙では秋の暮れであると訴える。こういう詞一つ一つが、さすが世阿弥である。夫が帰らないことへの恨みというより、片田舎に捨て置かれた自身の身の上の侘しさを「人目も草も枯れ」という表現で嘆いている。 

このシテの嘆きが嫋嫋と謡われる。嫋嫋とはいえ、芯が通り凛としているのは寿夫師のそれに似ている。と同時に梅若実師の謡いにも似ている。華やかでいて、哀しい。

「怨みの砧」という表現が使われているけれど、おどろおどろしい雰囲気はない。ただただ悲しい。「憂き」という言葉があとで出てくるけれど、こちらがシテの思いに近いのかもしれない。相手へと向けられる強い感情というより、自身に向けてのものになっている。ここにこの女性の人となりが立ち上がる。それは上田秋成の『雨月物語』の中の「待って、待って、待ちくたびれて儚くなってしまった」「浅茅が宿」の女とも重なる。怨みが己に向かっているのである。相手に向かうより、悲しみはより大きい。

自分へ向かう行為が「砧を打つ」であろう。

今の砧の声添へて君がそなたに 吹けや風 余りに吹きて松風よ
我が心通ひて人に見ゆならば
その夢を破るな破れて後は此衣たれか来ても訪ふべき
来て訪ふならばいつまでも 衣は裁ちもかへなん夏衣 薄き契はいまはしや 
君が命は長き夜の 月にはとても寝られぬにいざいざ 衣うたうよ *2

後場、芦屋某が弾き鳴らす梓弓の音で招じ出された妻の亡霊。これも、深い恨みのあまり、(招かれずとも)自分から登場してくる能の亡霊たちとは違っている。恨みによる「狂い」というより、沈潜した嘆きを示している。これも「浅茅が宿」の女と重なる。

こういう女の裡に秘められた情念をどちらかというとサラリと演じられた真州師は、やはり素晴らしかった。さすがと唸った。もっと見ておけばよかったと後悔。で、今日は大槻能楽堂での「耕三の会」で、師の仕舞、「花筐」を見る。

片山九郎右衛門師と味方玄師がこの公演に地謡で参加されていたのが、嬉しかった。地謡が力強かった!九郎右衛門師は真州師の鬘桶を支えておられた。 

先ほどネット検索をかけて初めて知ったのだけれども、観世寿夫師は1976年にパリのオルセイ劇場でジャン・ルイ・バロー主宰の公演で『砧』を演じておられるんですね。

「平凡の友」社広告に載っていた。

www.heibonnotomo.jp

この2018年のパリ公演は、いわばその再現として実現したものだろうと推察している。