紫式部の書き手としての苦悩を描く『源氏供養』
一つ前の能『弱法師』では、親子の情に「妥協する」(淫する)俊徳丸の姿が、悲しくこちらの胸を打ったけれど、この『源氏供養』では、そういう妥協を許さないシテの苦悩の様が辛く重く迫ってきていた。艶やかな衣装をまとっているのにもかかわらず、表現される所作、動きはどこまでも暗い。また、動き自体もとても少なく地味。舞も極めて抑えたもの。そこから醸し出されるのは、物を書く者の苦しみ。筆を持つ者が必然的に負う責任の重さ。物書きは書かざるを得ない。でも一旦書くからには、この重圧を覚悟しなくてはならない。以前に『源氏供養』を見ているのに、そのときには重圧に苦しむ紫式部というイメージを持たなかった。ひとえに私自身の感受性の乏しさゆえだったのだと思う。それを気づかせてくれたシテの杉浦豊彦師に、畏敬の念を持った。
『源氏供養』概要と演者一覧
例により「銕仙会」の能楽事典から概要をお借りする。それと当日の演者一覧をそこに付加させていただく。
演者
前シテ 里の女 実は紫式部 杉浦豊彦
後シテ 紫式部の幽霊 杉浦豊彦
ワキ 安居院法印 江崎欽次朗
ワキツレ 同伴の僧 大坪賢明
和田英基
笛 佐鴻泰弘
小鼓 林吉兵衛
大鼓 山本哲也
後見 井上裕久 林宗一郎
地謡 河村浩太郎 橋本忠樹 松野浩行 浅井通昭
河村晴久 浦田保浩 大江又三郎 越賀隆之
概要
文芸によって仏の教えを弘める“唱導”の大家・安居院法印(ワキ)が石山寺を訪れると、そこへ紫式部の霊(前シテ)が現れる。式部は、自らが生前に書いた『源氏物語』の供養を怠ったために今なお苦しんでいると明かすと、法印に供養を頼み、姿を消してしまう。
夜、法印が回向をしていると、式部の霊が在りし日の姿で現れ(後シテ)、法印の弔いに感謝して舞を舞う。式部は、無常の世を観じて救済を願う自らの思いを舞に託すと、ついに救われる身を得たことを明かし、消えてゆくのであった。
「虚構と美辞麗句」からなる物語からの解脱は成功したか
「能楽事典」の続きにあった「ストーリーと舞台の流れ」の解説が実に的確にこの能のキモを解説している。
石山寺に参詣した(法印)一行は、かの女(里女)の言葉のままに、源氏物語の供養をはじめる。「虚構と美辞麗句とに飾り立てられた、真理に背く物語。しかしそれとても、人々を仏道へと導く方便なのだ…」 法印は物語を供養し、紫式部の菩提を弔う。
夜も更け、辺りはひっそりと静まりかえる頃。見ると、灯火の陰に一人の女性(後シテ)が立っていた。美しい顔ばせに、紫の薄衣をまとった彼女こそ、紫式部の幽霊であった。
「虚構と美辞麗句とに飾り立てられた、真理に背く物語」という箇所が胸を打つ。紫式部は名声が欲しくて『源氏』を書いたのではない。やむにやまれぬ想いに駆り立てられて、書いたのだ。それでも『源氏』には登場人物の心の残滓が澱となって蓄積している。物語は一旦作者の手を離れるとそれ自体自律するものではある。書き上げた世界からは作者は自由になるはず。でも、ことはそんなに簡単なものではないのだろう。まして、『源氏』のように登場人物が多く、互いに心理戦を展開する作品では特にそうだろう。築き上げた虚構界からは「おいで、おいで」と手招きがかかっている。彼女は果たして法印(仏法)によって、その虚構界の手招きから解放されたのだろうか。
懊悩を演じる杉浦豊彦師が見事
この様をシテの杉浦豊彦師はうちに抑えた所作と舞で表現された。ここまで内省的な能はそれに見合う演者を要請するだろう。あまりにもぴったりな演者だったということになるだろう。