yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

河村和晃師シテの能『国栖』in「林定期能」@京都観世会館 2月16日

 

若々しい舞台

この日の舞台は、何よりもその若々しさとみずみずしさで際立っていた。シテの河村和晃師、ツレの松野浩行師と田茂井廣道師、それぞれがそのパワーを全身で発揮されたのが、見ている側にもビンビンと伝わってきた。とくに松野浩行師と田茂井廣道師は「女性の役」の明るさ、華やかさを出して秀逸だった。

演者一覧

この若さと華やかさがどこから来たのか?それは演者一覧を見ればわかっていただけるだろう。「銕仙会」の「能楽事典」からお借りした「役一覧」に当日の演者をつけ加えたのが以下。

前シテ  吉野の里の漁翁  河村和晃 

前ツレ  吉野の里の姥   松野浩行  

後シテ  蔵王権現     河村和晃 

後ツレ  天女       田茂井廣道

子方   王(大海人皇子) 林彩子

ワキ   朝臣       有松遼一

ワキツレ 輿舁       原陸  岡充

オモアイ 追手の雑兵    野村又三郎

アドアイ 追手の雑兵    野村信朗         

笛 森田保美 

小鼓 曾和鼓堂 

大鼓 山本哲也 

太鼓 前川光範

 

後見 林宗一郎  大江又三郎

 能『国栖』のあらすじ

『国栖』は昨年4月に片山伸吾師シテで見て、当ブログ記事にしているので、リンクしておく。

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背後には、天智天皇と弟の大海人皇子とが争った壬申の乱がある。ただ、こういう風に能の舞台で見ると、机上の歴史が新たなる相貌でもって立ち上がるから不思議。以下に例によって「銕仙会」の「能楽事典」から演目解説をお借りする。

<あらすじ>
王(天武天皇)は大友皇子に都を追われ、供の者と吉野へ落ちのび、川舟に乗る老夫婦と出会います。夫婦は天皇を匿い、根芹と国栖魚(鮎)を献上します。老人が天皇の食べ残した魚を川に放つと、不思議にも魚は生き返りました。そこへ敵が迫りますが、夫婦は天皇を舟の下に隠し、敵を欺き追い返します。夜になると天女が現れ舞を舞い、蔵王権現も出現して、御代の将来を祝福したのでした。

吉野に残る国栖伝説を採り入れた猿楽『国栖』

作者が不詳とのことだけれど、どうも世阿弥以前の古い形態を残しているらしい。この辺りの事情が壷齋閑話さんのブログ、「日本語と日本文化」中の「国栖:壬申の乱と天武天皇(能、謡曲鑑賞)」にあったので、引用させていただく。

題名にある国栖とは、吉野山中に住む土着の民をさしていった言葉である。神武東征以来、朝廷に歯向かった者として差別されていたらしい。この国栖と天武天皇を結びつけたところに、作品の趣向がある。

曲中、皇子の召した鮎の半身が再び生き返って、清流を泳ぐ場面が出てくる。これは瑞祥であるから、皇子はきっと都へ還御されるだろうと、奇跡に事寄せて大海人皇子の勝利を予想する。こうした内容から見ると、国栖の民は壬申の乱において大海人方に味方し、一定の功績を上げたのだろう。

作者は不詳だが、おそらく世阿弥以前の古い能と思われる。現行曲は前後二段からなっているが、後段は殆どが喜びの舞のみであるから、実質的には一場と異ならない。世阿弥以降手を加えられて、今日のような形になったのであろう。

大和の猿楽は、当然吉野とも深い縁があったから、吉野に伝わる国栖の伝説を、能に取り入れたのかもしれない。

観阿弥・世阿弥以前のドラマチックな猿楽の姿を残す

まるで歌舞伎のようなドラマチックな展開に、私は観世信光作ではないかと思ったのだけれど、どうやらそれは的外れだったようである。となると観阿弥・世阿弥以前の能にはこのような登場人物が多く、起伏に富んだ能(猿楽)が存在していたということになる。おそらく当時の観客が求めたのがこのようなものだったということだろう。何百年も前の観客に、並々ならない絆を感じてしまった。改めて、日本人のメンタルはさほど大きく変化したわけではないことも思い知らされた。まさに、「猿楽作者はわれらが同時代人」ということか。以下に公演チラシの表裏をアップしておく

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