yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

能の新しい可能性への挑戦だった能楽『鷹姫』in 「シリーズ 舞台芸術としての伝統芸能 vol.2 」@ロームシアター京都 2月3日

一昨年10月に京都観世会館で『鷹姫』をみている。その時書いた記事をリンクしておく。

www.yoshiepen.net

とにかくすばらしくて震えるほど感動した。役の人物が憑依したかのような、シテの九郎右衛門師とシテツレの味方玄師だった。岩役の地謡方も力があり、まさにギリシア劇のコロスの集団が舞台を動き回っている感があった。能であって、能でない。でもやっぱり能なんだと思わせる舞台だった。

 

 

オペラもどきの新しい演出、舞台設営が新鮮

昨日の『鷹姫』はその時の舞台とは演出面でかなり異なっていた。以前にみたものをさらに「発展させた」というか、西洋的な舞台の工夫を組み込んだ舞台になっていた。西洋のオペラハウスでは当たり前の、照明の工夫があり、加えて装置の立体化が施されていた。普通の能舞台では、作り物と呼ばれる「大道具」や「小道具」が持ち込まれることはあっても、舞台設営という概念はない。だから、今回のものは、一昨年の『鷹姫』とは違ったもの、西洋的なコンセプトを取り入れ、それを下地にして設営された舞台。だから、古典的な能のお約束事を期待すれば肩すかしにあうかもしれない。でも私には、この方向性が極めて新鮮で、だからこそこれからの能の行き先の可能性の一つを指し示してくれるような気がした。もちろん一昨年にみた『鷹姫』はすばらしく、それ自体古典として自律していた。同時に、昨日の西洋的な設営を施した舞台も、それ自体古典であると感じた。能として成立していた。

以下に公演チラシをアップしておく。

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新作能『鷹姫』のチラシ画像

スピード感のある動きがもたらす効果

役替えがあり、老人を観世銕之丞師、鷹姫を片山九郎右衛門師。空賦麟は以前と同じく宝生欣哉師。銕之丞師は老人的な緩慢な動きに加えて、声調もそれに合わせていた。でも弱々しいというのではなく、心の裡に深い思いを抱えているのがよくわかる台詞回しと謡だった。九郎右衛門師はなんども跳ぶ(翔ぶ)動きが入り、その速さと美しさに見ほれた。最後に舞台に設営された斜面を駆け上がっていく様は、鷹が飛翔しているように見えて、感動的だった。宝生欣哉師も空賦麟という若い男の若々しさゆえのアウェイ感を、以前にも増して現出させておられた。九郎右衛門師と欣哉師のお二人は、なんとも可愛いというか(失礼!)、初々しい感じがにじみ出ていた。それでいて、まるで井戸の妖気に当てられたかのような色気もあった。こういうの、普段の能舞台では極力抑えた表現になっているけれど、今回の舞台ではもっと自然に、自由に放出させていたような。

バレエの群舞を思わせる舞台

岩役は以前の演者に加えて、味方玄、浦田保親、宮本茂樹 観世淳夫各師、そして後見で林宗一郎が加わっておられた。総勢11名で、壮観。西洋的な巨大な舞台ではこれくらいの人数が要請されるだろう。でもみなさん二度目ということで、以前よりもずっと安定感があった。一昨年に「岩」をまとめられた浅井文義師が今回もまとめ役だったとか。これ以上ないほど揃っていたし、迫力もいや増していた。動き、その流れもダイナミックで、普段は緩やかなムーブメントが一転、スピーディーなものになっていたような。まるでバレエの群舞をみているようだった。さすが能役者の方々、動きながらの謡も一糸乱れずという感じ。本当に京都観世の方々には見惚れてしまう。

一応、当日いただいたプログラムに記載さていた内容を以下に。二部構成になっていた。

【第一部】「鷹姫」
原作:W.B. イェーツ
能本作者:横道萬里雄
曲節作者:観世寿夫
演出:観世銕之丞
出演: <鷹姫>片山九郎右衛門 <老人>観世銕之丞 <空賦麟>宝生欣哉
<岩>浅井文義 河村和重 味方玄 浦田保親 吉浪壽晃
  片山伸吾 分林道治 大江信行 深野貴彦 宮本茂樹 観世淳夫
<囃子方> 笛:竹市学 小鼓:吉阪一郎 大鼓:河村大 太鼓:前川光範
<後見>林宗一郎

【第二部】ディスカッション
出演:
観世銕之丞
片山九郎右衛門
西野春雄(能楽研究者/法政大学名誉教授)

舞台監督:前原和比古(株式会社 京都舞台美術製作所)
照明:宮島靖和(株式会社 流)
空間設計:ドットアーキテクツ
宣伝デザイン:井川祥子 

 第二部のディスカッションの最後に、九郎右衛門師が監督、照明、そして舞台設営の方々にお礼を述べられていたのにも感動した。