yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

梅原猛氏を悼む

1月13日に亡くなられたという。93歳だった。

 

「歴史謎解き」のパイオニア、梅原猛

最初に読んだ梅原氏の著作は『水底の歌』で、それまで教科書中の歌にのみ「鎮座」していた柿本人麿という歌人が、目の前に立ち上がってきた気がした。「ある歴史上人物の死の謎を解く」という論の進め方は、まるで推理小説を読んでいるようなワクワク感があった。今流行りの(?)某局の「歴史ヒストリア」や「英雄たちの選択」なども、梅原氏が始め、かつ広めた「歴史の謎解き」の系譜に連なるものだろう。歴史が専門の研究者に「独占」されていたのを、下野させ、一般人が参加できるような素地を作られたんでしょうね。それだけでも、非常な功績。毀誉褒貶があり、特に専門家からはきつい批判があったようだけれど、梅原氏には想定中のことだったと思われる。飽くなき好奇心と、アグレッシブに前進するその起動力が、終生「梅原猛」という人物を形作っていたのだろう。

「梅原古代学」の面白さ

『水底の歌』の後は『隠された十字架』を読み、すっかり梅原氏の謎解きにはまってしまっていた私は、法隆寺を何度も訪れたものである。それまで私の中で単に古刹として存在していた法隆寺。それが「聖徳太子の鎮魂のために建立された寺院である」という梅原氏の提出した仮説によって、俄然魅力的な意味を帯びるようになったから。もちろん、歴史専門家ではない私には、彼の提出した仮説が事実かどうかは確認できるわけもなかったけれど。ただ、歴史専門家たちから、『水底の歌』のときと同様、苛烈な批判を浴びたことも、逆に彼の仮説の魅力が増すような気がした。

その後、『地獄の思想』を読んで、梅原氏の出発点でもある仏教と日本思想の関係を明らかにする研究に感銘を受けた。こちらも仮説が多いけれど、かなり踏み込んで例証をされて、一つの「日本人論」としても非常に価値のあるものだと思った。こちらは梅原氏の専門である哲学、思想の分野なので、さほどの批判は浴びなかった?

アメリカのアカデミアでは仮説を出すことを高く評価する傾向があるけれど、日本のアカデミアはいわゆる「タコツボ」傾向が強く、斬新なものを排除する傾向が強い。それでいて、海外で評価されると途端に日本でも評価するという「逆輸入」傾向が多々見られる。

梅原氏と歌舞伎

梅原氏がスーパー歌舞伎『ヤマトタケル』の台本を書かれたことは、光森忠勝氏の『市川猿之助 傾き一代』(新潮社、2010)で知っていた。猿之助(現猿翁)の梅原氏への依頼で始まった企画。その未知の分野への挑戦が実を結ぶ様がつまびらかになっていて、まるでドラマだった。そういえば、梅原氏の作品にはドラマ仕立ての面白さがあることに、今頃気づいた。

四代目市川猿之助の襲名興行での「ヤマトタケル」チラシ画像をお借りする。

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梅原氏と能

昨年2ヶ月間ロンドン大学の図書館にこもっていた間に、能関連書籍をまとめて読んだけれど、その中で再び梅原氏に「出会った」。彼が能にこれほどまでに「入れ込んで」おられたんだと、改めて思い至った。とくに、松岡心平氏、天野文雄氏との共著、『能を読む』(角川学芸出版)のシリーズには梅原節ならぬ梅原氏の仮説が盛り込まれていて、「観阿弥——世阿弥—元雅」と続く世阿弥父系の系譜が鮮やかに、ドラマティックに立ち上がってくる感を持った。また、彼がずっとこだわっておられた秦河勝と「うつぼ舟」論も盛り込まれていて、氏の立ち位置がほの見えた。

つい先日、『能を観る 梅原猛の授業』という著書を図書館から借りだし、読んでいるところだけれど、「うつぼ舟」とも繋がる『善知鳥』の解説が興味深い。また、世阿弥の子、元雅への氏の強い想いが窺える『弱法師』分析も興味深い。それぞれ、「うつぼ舟」と明確に繋がる論説になっているように思った。

梅原氏は三島由紀夫と同い年で、生前それなりに意識されていたとか。この『能を観る』の中で論じられている15編の作品に、『卒都婆小町』、『弱法師』、『邯鄲』、そして『道成寺』と、三島が彼の『近代能楽集』に選び取った作品が多く含まれているのも、三島を意識していたのが窺える?あちらでお二人はどのような会話をかわしておられるんだろうか。