yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

中車のエグさ倍増『あんまと泥棒(あんまとどろぼう)』@歌舞伎座 12月23日夜の部

「歌舞伎美人」からお借りした解説が以下。

村上元三 作・演出

石川耕士 演出

 

配役

泥棒権太郎
あんま秀の市

松緑
中車

笑いを誘う対話の妙

 ある夜更け、あんまの秀の市の家に泥棒の権太郎が現れます。権太郎は刃物で脅し、金を出すよう迫りますが、秀の市はのらりくらりと要求をかわし、そのうち二人は酒を飲み始めると、いつの間にか立場が逆転し…。
 NHKで放送されたラジオドラマの脚本を元に舞台化した、二人のせりふのやりとりとしたたかな人物描写に可笑しみ漂うユーモラスな舞台をお楽しみください。

中車の『あんまと泥棒』は、2015年に明治座でみている。そのときの泥棒権太郎は猿之助が演じた。これは記事にしている。

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彼はまた、2016年に金丸座でも秀の市を演じている。権太郎は愛之助だったが、それは見ていない。おそらく『半沢直樹』時の二人の呼吸が生きて、面白かったはず。

 松緑はこの二人と比べると、アクが薄いように想像していたのだけれど、やはりその通りだった。『あんまと泥棒』は、主客関係の逆転の面白さで見せる点で、落語がソースの『らくだ』と共通している。盲目の秀の市が「目あき」の権太郎をだしぬくわけだけれど、このとき、二人が最後まで演技力が「同格」でないと、面白さが半減する。それは『らくだ』も同じで、勘三郎・三津五郎の『らくだ』があれほどまでに滑稽なのは、二人が同格だから。だから、猿之助と中車の組み合わせの場合、中車が猿之助と「同格」になるよう、様々な工夫をしていた。そしてそれは功を奏していた。

今回の松緑との組み合わせでは、松緑が「弱かった」。もちろん最後にはいっぱい喰わされるわけだけれど、その逆転を盛り立てるには、泥棒自体がそれなりの強い存在感で迫ってこないと、アクの強い秀の市の存在感に負けてしまう。二人が演技者として同格である必要が、ここにある。

中車はもう手練れの域で、冒頭の登場場面からいやらしさ全開。しかも乗りに乗って、過剰なほどの入れ込み。この過剰に対抗するのは、普通のアプローチでは無理だろう。愛之助はおそらく、上方のいやらしさで、中車のいやらしさに対抗したのではないだろうか。それを松緑に期待するのは気の毒な気がした。キャスティングミスだと思った。

この瑕疵を塗り込めるべく、中車が張り切っていて、そのぶん過剰さがいや増していていた。でもこの芝居は逆転劇の面白さを見せるのがキモだから、秀の市一人がおかしくても、ダメなんですよね。バランスが崩れていたように、感じた。