yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

ワクワクした小鼓方の大倉源次郎師と大鼓方の亀井広忠師の「エア鼓」 in 「公開連続講座 日本芸能史」第13回 @京都造形芸術大学

出演者はお三方。
 大倉源次郎(大倉流小鼓方宗家)
 亀井 広忠(葛野流大鼓方家元)

 聞き手 渡邊守章

楽しい講座だった。実演だけではなく、受講生も参加する(練習する)機会が設けられていたのが、今までの講義とは違っていたところ。いわば、ワークショップの形。何しろ人間国宝の大倉源次郎師、(将来の人間国宝)亀井広忠師直々の指導なんですからね、すごい体験をしてしまいました。

実際の小鼓、大鼓を調達はできないので、その場で手を鼓に見立てての稽古。源次郎師曰く、「エアー鼓」。これ、なかなか「本格的」。お二方の指導は、全く鼓を持ったことのない者にも、懇切丁寧なものだった。会場のみなさん、真剣に「打ったり」、掛け声を出したりしておられた。ご一緒した謡歴20年のお友達、「あんなによくわかる指導だったら、私も小鼓の稽古を止めることはなかったのに!」。たしかに、最初につく師匠によって、稽古が続けられるか否かが決まるだろう。能全体への興味を持ち続けることができるかどうかも。その点で、この日の小鼓、大鼓のお師匠方二人は、これ以上望めないほどの指導者だった。お二方の演奏に会場がエアー鼓で「参加する」という体験は、ワクワク感と幸福感に満ちていた!

それから『道成寺』の映像を見た。2016年1月30日の春秋座での公演録画。

春秋座 能と狂言 | 京都芸術劇場 春秋座 studio21

観世寿夫師の甥の観世銕之丞師がシテ、渡邊氏ご贔屓の野村萬斎師がアイというのは、渡邊守章氏がオーガナイズしたので当然として、囃子方が垂涎ものの面々。小鼓を大倉源次郎師、大鼓を亀井広忠師、笛を先だって無念にも鬼籍に入られた藤田六郎兵衛師、そして太鼓を前川光範師と、これ以上望めない最高の布陣。本当にため息が出た。見ていない悔しさで。六郎兵衛師の笛は二度と聴けないので、これは実に貴重な映像。たった3年前ですよ。その場に居合わせなかったのが、口惜しい。

ただ、不満も。映像の限界で、シテにスポットを取ると小鼓の源次郎師が映り込んでいない。『道成寺』乱拍子のキモは小鼓とシテの息詰まる掛け合いにあるから、これはまずい。二人を同時に映すべき。誰が掛け声をかけているのかを示さないと、乱拍子の緊張感の意味が理解できないから。

その点では、紀伊国屋書店製DVD『道成寺』中の梅若六郎(現梅若実)版の方がずっと上。2000年2月、名古屋能楽堂で収録されたもの。以下がその演者。

小鼓  大倉源次郎

大鼓  河村総一郎

太鼓  助川治

笛   藤田六郎兵衛

このDVD『道成寺』、大倉源次郎師が小鼓を、そして藤田六郎兵衛師が笛なんですよね。しかも、乱拍子をマルチカメラワークで撮っている。梅若六郎師の足の動きと源次郎師の小鼓、掛け声がどのように呼応、息を合わせて緊張感を盛り上げているか、克明にわかる仕組み。非常によくできていて、「乱拍子」がどれほど重いエネルギーを蓄えたものかが、瞬時に理解できる。これを最初に見たときは、衝撃を受けた。玉三郎の『娘道成寺』にかける意図もわかる気がした。それほど、すごい作品だから。特にあの乱拍子は。

クローデル研究家でもある渡邊守章氏の『越境する伝統』を、この日もバッグに入れて来ていたのだけれど、その中にクローデルが『道成寺』を初めて見たときの感想が記されている。該当箇所をリンクしておく。

books.google.co.jp

クローデル評でとくに印象的なのは以下の箇所。

楽士の発する咆哮にも似た声。足の爪先が持ち上がる。鼓を一つ打つ、爪先がおりる。静まりかえる。突如、全身を折り曲げる。飛び掛かろうと構えるように。それから再び静寂、長い不動の間、というようにして続く。こうして舞台を一周するのに一時間かける。実に見事に劇的である。 

さすが劇詩人クローデル、その評があまりにも的確。2016年の春秋座版もクローデルの評を重ねて見てしまった。鐘入りの作法は流派によって異なるとか。銕之丞師の鐘入りは、梅若六郎師のものと同じ形だった。

脱線してしまったけれど、大倉源次郎師が2000年版の『道成寺』の小鼓を演奏されたことで、すべての糸(リンク)が繋がった気がしている。そこに大鼓の亀井広忠師が加わった感じ。

亀井広忠師には、歌舞伎つながりでどこか懐かしさを感じてしまう。というのも、歌舞伎大鼓方の田中傳左衛門さんが弟。母方のお祖父が人間国宝の十一世田中傳左衛門。能、歌舞伎双方の人間国宝を父、両祖父に持っているということ。彼の語り口は、もう完璧に歌舞伎役者風、江戸前。それが西宮出身の源次郎さんの関西弁と、粋な対照を成していた。伝統芸能ならではの「奥行き」、「奥深さ」に、なんともいえない安心感と充足感を感じるのは、私だけだろうか?