yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

コテコテの大坂感を前面に出した『雁のたより』 in 「當る亥歳吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎」@京都南座 11月14日夜の部

まず、配役を以下に。

<配役>

髪結三二五郎七
若旦那万屋金之助
前野左司馬
愛妾司
医者玄伯
高木治郎太夫
乳母お光
花車お玉

     鴈治郎
染五郎改め幸四郎
     亀鶴
     壱太郎
     寿治郎
     市蔵
     竹三郎
     秀太郎

 

なぜか、「歌舞伎美人」に「みどころ」が」アップされていないので、「コトバンク」の解説を拝借させていただく。

kotobank.jp

曰く、

歌舞伎(かぶき)劇。世話物。1幕。金沢竜玉(かなざわりゅうぎょく)(3世中村歌右衛門(うたえもん))作。1830年(天保1)1月、大坂角(かど)の芝居初演。有馬の髪結三二五郎七(さんにごろしち)は前野家の主君の愛妾司(つかさ)に見そめられ、邪推した前野のため、にせの恋文でおびき寄せられ、大ぜいに打擲(ちょうちゃく)される。しかし、前野の家老高木の計らいで、五郎七実は高木の甥(おい)浅香与一郎で司とは幼時からの許嫁(いいなずけ)とわかり、めでたく結ばれる。上方和事(かみがたわごと)の一面である滑稽(こっけい)味の濃い狂言で、ストーリーよりもにせ恋文を見た五郎七が喜ぶあたりの遊び気分が眼目。3世中村歌右衛門が石川五右衛門を扱った『けいせい雪月花(せつげつか)』のなかに組み込んだ自作自演の一幕が後世に伝わり、『渡雁恋玉章(わたるかりこいのたまずさ)』『雁の便りまいらせそうろう』などの名題で今日でも上演される。[松井俊諭]」

成駒屋は現在は東と西とに存在するけれど、発祥は上方。だから東の成駒屋の鴈治郎が髪結三二五郎七を、そして壱太郎が司を演じるのは当然のこと。また、大坂角座での初演だから、上方役者が揃って演じるのも理に適っている。前野左司馬を亀鶴だったのは、うれしかった。東京ではあまり見かけないので。世間知らずの大名のおバカぶりをうまく演じていた。ワキの秀太郎も竹三郎も上方の味わいをちょっと大仰なくらいに出していた。お二人とも滑稽な雰囲気を目いっぱい醸し出して、好演だった。

やはり、最も上方風だったのは鴈治郎。言葉遣いも仕草もとことん上方風で、滑稽感を大袈裟なくらいに盛り上げていた。ちょっとしつこいくらいに。「コテコテ」なんですよね。でもこれは「東京では受けないかも」って思ってしまう自分がいて、ちょっと悲しい。あちらが「デファクスタンダード」になっているのは、どうしようもない事実だから。コテコテ大坂のど真ん中、新幸四郎が下手に「手出し」をせず、やんわりと差し障りなく登場、退場したのは賢明だったでしょうね。

「コトバンク」の解説に「ストーリーよりもにせ恋文を見た五郎七が喜ぶあたりの遊び気分が眼目」とあるのは、優れた指摘だと思う。実際にはありえないようなご都合主義のオチで、それに目くじら立てても仕方ない。上方のバカバカしいまでのおかしみを楽しむというのが、大事なのだろう。

「(元傾城の)大名の妾と髪結いの恋愛」という身分違いの恋を描いているという点で、三島由紀夫の『鰯売恋曳網』を思い浮かべてしまった。