yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

能『恋重荷』in「大槻能楽堂自主公演能 改修35周年記念ナイトシアター」@大槻能楽堂 11月1日

着いた早々、シテ変更のお知らせがあった。『恋重荷』のシテは梅若実師と告知されていたのだけれど、肺炎になられたということで、急遽大槻文蔵師が代わられた。実師の足元が最近とみに不安定な気がしていたので、文蔵師が代わられて正解だったと思う。でもつい先月23日にGINZA SIXの観世能楽堂で彼の社中会にお邪魔した折、地頭を務めておられたので、ちょっと意外ではあった。ずっと出ておられたので、無理をされたのかもしれない。

文蔵師は何度も座った姿勢から立ち上がるときも、しっかりとした脚さばきで、頼もしかった。普段から足腰に気を遣っておられるのがよくわかった。立ち上がり方がとても綺麗なので、いつも感心している。

この日の演者は以下。

前シテ 山科庄司    大槻文蔵

後シテ 庄司の亡霊   大槻文蔵

シテツレ 女御     上野雄三

ワキ 臣下       福王和幸

アイ 下人       野村太一郎

 

笛           赤井啓三

小鼓          大倉源次郎

大鼓          山本哲也

太鼓          三島元太郎

 

後見          赤松禎友

            上田拓司

地謡          浅井文義 (地頭)

            斉藤信隆

            山崎正道

            浦田保親

            山本正人

            竹富康之

            斉藤信輔

            大槻裕一

いただいたチラシによると、シテの面は前・後ともに梅若家蔵のもので、由緒あるもののようだった。道理で力のある面だった。前から2列目だったので、よく見えた。ツレの面は大槻家伝来のもの。こちらもヌベーとした感じが、女御の無神経さ(?)をそれとなく暗示している気がした。古いものであることは、すぐにわかった。

『恋重荷』は演出が流動的で、様々な試みがなされているとか。今回のものは、大槻文蔵師と村上湛氏との共作だとのこと。かなり新しい演出だった。普通の能の所作、動きよりもずっと演劇っぽい感じがした。例えば、老人がなんども舞台前面に置かれた荷に駆け寄る様は、その心理がリアルに表現される所作になっていて、驚いた。嘆きもリアルな表現になっていて、彼の悲嘆が胸に迫ってくる。優れてモダンで、よかった。

 もう一つ意外だったのは、後シテが女御に迫る様がさほどサディステックではなかったこと。前にみたものでは、もっと詰め寄る感じが強く押し出されていた。悪心に身を焦がすというより、裏切りを哀しむという老人の心の裡が、ほの見える。老人は今でも女御に思いを寄せているのだ。こういう演出は、現代の観客にはより「とっつきやすい」ように思う。たしかに、ちょっとあっけなくて、あまりにも老人が気の毒だと同情してしまったけど。

お囃子は小鼓の大倉源次郎師、大鼓の山本哲也師のコンビが最高だった。そこに三島元太郎師が太鼓で入ると、もう完璧。笛は迫力があまりなかった。貢献の赤松禎友師がずっと文蔵師を目でおっておられるのに、ちょっとグッときてしまった。地謡方は大連吟での師匠、斉藤信輔師を久しぶりに拝見できて、嬉しかった。ワキの福王和幸師も拝見するのは久しぶり。アイの野村太一郎さんは拝見するたびに腕を挙げておられる。お祖父様の野村萬師の薫陶が効いているんですね。この日の狂言には失望したので、ここで野村家の気を吐いておられたのが、嬉しかった。