yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

「芝居の『荒城』」の面目躍如『太陽(ヒ)と月』(DVD、篠原演芸場で録画したもの)

実際に舞台で見た人が羨ましい。圧巻の舞台だった。さすが、「芝居の『荒城』」!以下が演者一覧。あらすじを載せるのはご法度のようなので、割愛する。

柳生十兵衛          荒城真吾

  長男 巽央(ソンオウ)  荒城勘太郎

  次男 又右衛門      荒城月太郎

 

柳生宗矩           荒城照師      

  長男 鋼牙(コウガ)   荒城蘭太郎

  次男 宗嗣        荒城虎太郎

 

本多政長           姫川豊

 

徳川家配下の者        荒城和也

 

里の者            姫川祐馬

               葉山くらら

               姫乃純子

               葉山美夕

               荒城莉也

父と子、兄と弟。苛烈に対立する軸の間に必然的に生じる劇的葛藤を描く。徹頭徹尾相手を倒すまで死闘が続き、永遠に解決しないかにみえた戦い。それは、主要人物が舞台から消えることで、やっと収束する。累々と重なる屍の上に。

「争いのない世にするため剣を使う」という言葉は、その屍を超えて、はじめて意味を持つ。その「非情」を描いて見事だった。歌舞伎になった『ワンピース』や『NARUTO』の「ヒューマニズム」の浅薄(チープ)さと、際立った対照をなしていた。おそるべし、座長、荒城真吾!そして劇団荒城!

十兵衛と宗矩兄弟の葛藤、深読みすれば(深読みしてしまうんですよね)、彼とその弟照師さんとの葛藤がかぶってしまう。弟の宗矩と剣を交える時に、十兵衛が呟く「光があれば闇がある」というセリフに、意味を読み込んでしまう。実際には、ずっと光だったり、あるいは闇だったりする人物も状況もありえないのだけれど。あくまでも演出上、対立はクリアに提示される。

父と子との対立も然り。父、十兵衛と息子、巽央(それぞれの漢字には「氵」が付されているが、いずれも当用漢字にあらず)との確執と離反、そして敵対という過程は、まさにフロイトの精神分析で解釈できるだろう。こういう死を賭した争いは、日本的な家族関係ではなく、西欧的というか(ユダヤ)キリスト教のそれを思わせる。余談だけれど、先日木馬館で途中まで見た(「荒城版眠狂四郎」だという)『アガペ、無償の愛』なんてタイトルにも、その匂いがするんですよね。「アガペ」っていうのは「ヤーウェ」とも読めるらしい。ヘブライ語は子音のみでそれにつける母音によって、音が変わるんだとか。「巽央」、「鋼牙」なんて、実際にはない漢字の名前の「工夫」も、そのデンなのかと深読みしてしまう。「深読みしてしまう」、つまり解釈をしてしまうほど、濃い内容だということですね。一筋縄ではゆかない複雑さを内包する舞台なんです。

光と闇、表と裏という対比は全場を覆っていた。最後にひらけた、多少なりとも明るめの表舞台になるけれど、それまでは闇が支配する世界のみ。対比は左と右に(下手・上手)に置かれた不動明王像によっても、強調されていた。ほとんど装置、大道具類のない舞台。後景の幕も黒一色。まるで小劇場系舞台。劇的葛藤はとことんセリフによって示される。この徹底ぶりが潔い。また美しい。

美しいといえば、ご自身も柳生十兵衛を演じ、その狂気を舞台いっぱいに繰り広げていた真吾座長、ここまで徹底すると、狂気も美になる。凡庸の真逆。それがもっとも端的に示されるのが、彼の剣さばき。新陰流として提示される剣さばきは、美しい。殺陣は今まで見てきた剣戟の中で最も美しかった。スタイリッシュだった。これも非凡。父、真吾座長と息子たち、勘太郎・蘭太郎兄弟のコンビの繰り広げる殺陣の場面は、とにかく峻烈。華麗な剣さばきは剣舞のようだった。美しかった。

それをバックアップするのが、ここでもBGM。先日見た『因果は廻る狂狂と』でも使われていた映画『イノセンス』のBGM、「傀儡謡 陽炎は黄泉に待たむと」や、「めざめの方舟 (百禽~時を渡る)」、「謡III Reincarnation」、「復活の希望」が使われていた。すべて川井憲次によるもの。ひょっとして真吾座長、『攻殻機動隊』オタクなんだろうか。加えて十兵衛の最期には「飛天〜伝説の最期〜」が、そして「美しき残酷な世界」が使われていた。こういうのも非凡。

 

テーマといい、音楽といい、まさに「黙示録的」世界を描出していた。

 

真吾さん、照師さんがとにかく圧巻。でも、座員さんも素晴らしかった。よく真吾さんの狂気につきあったと、感心、感激。中でも勘太郎さんが十兵衛の息子ゆえの屈折した心理を描いて秀逸だった。彼と対応する役の蘭太郎さんも、父宗矩の優しさと素直さを受け継いた役を演じてぴったりだった。月太郎、虎太郎さんも、そして、もちろんワキをしっかり固めた和也さん、祐馬さんが見事だった。セリフをきちんと読み込んでいるのでリアリティが立っていた。

 到底「楽しい」とか「朗らか」とはいえない場面の数々、最後を締めるのは父、宗矩の遺志を継ぐ鋼牙。宗矩の羽織っていた衣をまとって登場、村人たちに、敵意の連鎖を断ち切ると宣言する。このようにレガシーが伝えられるとことにも、やっぱり深読みをしてしまう。

これはDVDで見た。先日の木馬館で入手したかったのだけれど、飛行機の時間があったため終演を待たずに退出せざるを得ず、入手できなかった。ところがありがたいことに、前々日に木馬館で観劇した連れ合いが入手してくれていた。これ以外にも二本ある。一昨日、彼から借りて、今日見終わった。見るのにも結構エネルギーが要りました。こんなすごい作品を創り上げるなんて、「おそるべし荒城」です。

 

追記

12月は埼玉の吉川温泉公演。で、23日、24日と見にゆくことにした。もともと歌舞伎座で児太郎の阿古屋を見るつもりで遠征予定を立てたのだけれど、ぜひとも荒城を見たいという止むに止まれぬ欲望に抗しがたい。歌舞伎座と荒城との二本立ての遠征になりそう。さらに、1月は篠原演芸場公演だと昨日知った。1月初旬に東京行きのフライト、ホテルを予約してしまっているが、浅草歌舞伎観劇をやめ荒城観劇にする。土日を外しているので、昼に一回見るのがやっとではあるけれど。