yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

世阿弥終焉の地 補厳寺(奈良田原本町)を訪ねて 10月18日

急に思い立って、出かけた。下調べも何もしていなかったので、要領が悪かったものの、なんとか目的を果たすことができた。うれしい。阪急駅発の一日乗車券(2060円)を西宮北口駅でゲットして、意気揚々と出かけた(つもり)。

補厳寺(ふがんじ)は世阿弥がそこで亡くなったとされるところ。世阿弥が佐渡に流されてその後どう余生を送ったのかいうのは、未だに定説があるわけではないようだけれど、大和の地に帰って亡くなったというのも有力な説らしい。その方が救われる気がする。大和は彼の出身地であるから。ネットで検索をかけて、この補厳寺に行き当たった。曹洞宗の寺らしい。世阿弥が禅に帰依していたのは、その作品からも明らか。ということで、どういう風に最晩年を過ごしたのか、興味が尽きなかった。

近鉄田原本駅には比較的スムースに到着することができた。ただ、駅員さんに聞いても「補厳寺なんて知らない」とのこと。駅傍の観光案内所でようやく確かな情報を得た。タクシーもあったのだけれど、世阿弥の足跡をできるだけ歩いて辿りたいなんていう無謀な考えのもと、歩いた。「味間」というのが補厳寺所在地。なんと徒歩で約40分!それも(のどかな田舎という)予想に反して、車の往来の頻繁な大きな道路をたどって行かなくてはならなかった。田園風景なんてまるでなかった。がっかり。タクシーを使うべきだった。

味間の集落に入るも、補厳寺はない。近くの人に聞いても間違った情報を提供されるだけ。10分ばかりウロウロして、やっと行き当たった!それが以下。門扉のみ。中には入れない。

 

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本当に何にもないんですよね。掲示板はあるものの、本当にささやか。ちょっと悲しくなったけれど、(禅に帰依したと思われる)世阿弥には相応しいのかもしれない。

 帰りはやってきた田原本駅に戻るのではなく、その(大和八木よりに)一つ先の「笠縫」駅に行くことにした。スマホの地図では一本道。近くで作業中の植木屋さんに聞いたところ、かなりの距離だと呆れられた。でもやっと大和らしいのどかな田園風景の中をたどることができた。

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田原本駅に戻るよりずっと短い時間で笠縫駅にたどり着いた。ただ、炎天下を歩いたので、かなり疲れてしまった。そこから京都行きの電車に乗って西大寺に行き、難波行きの急行で帰ってきた。西大寺では京都行きの急行にも乗り継ぎ可能だったので、いっそのこと新田辺まで行ってしまおうかと迷った。同志社大学(田辺キャンパス)で5年ばかり非常勤講師をしていたことがあったので懐かしくて。でもやめた。思いとどまって正解だったのだけれど。それにしても将軍に愛でられ、華やかな京都で全盛期を誇った世阿弥。こんなに遠く離れた大和の田舎で最期を迎えたんだと、感無量だった。

大阪に戻り早めの夕食を済ませ、新開地劇場で公演中の「都若丸劇団」をみてきた。充実した一日だったので、満足。