yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

「遊行的なるもの」in 廣末保著『悪場所の発想』(筑摩叢書、1988)

ロンドン大学図書館で出会った書物のひとつ。廣末保氏の学識の広さと深さに圧倒された。先日、西宮図書館で借り出して読み直しているけれど、どの頁を開いても、その行間から窺える内容の濃さに、立ち止まり、そして考え込んでしまう。本は(洋書以外は)入手するのを極力止めてはいるのだけれど、ついにアマゾンで買ってしまった。ずっと手元に置いておきたい、そういう本である。

新編 悪場所の発想 (ちくま学芸文庫)

新編 悪場所の発想 (ちくま学芸文庫)

 

私が無知だっただけ。芸能民、芸能集団、とくに周縁のそれにここ数年興味を持ってきて、それなりに関係書は読んできたのに、今まで出会わなかったのは、私の目が曇っていた?廣末保氏といえばこの著書で近世史を塗りかえたのだとか。もっともだと納得。近世史のみならず、中世から近代にわたる芸能史、それも文学から民俗学を組み込んだ歴史観を塗りかえたのだと思う。

今回ロンドンで嫌というほど身にしみたのは、歴史的な文献を当たることの重要さだった。現代文学というか批評が「専門」だということをexcuse?に、この緻密な作業を怠ってきていたことを、思い知らされた2ヶ月間だった。ただ、文献学に則って仮説を立てる場合、守備範囲が限定的になるきらいがある。普通学者は、とくに日本の学者はその傾向があるように感じていた。その中で、廣末保氏のアプローチは異質な気がした。いわゆる文献学一辺倒のそれとは一線を画している。もちろん文献にきちんと当たっておられるのは、内容や引用を読めば一目瞭然ではあるのだけれど、文献(証拠)を踏まえ、それらを俯瞰して立てられる論は、芸能史というより、むしろ文学/哲学の趣きである。芸能史が文学と哲学になっている。こういう研究をしたいと切望するけれど、なんせ当方の力では無理、到底無理に思えて、落ち込んでしまう。頑張るしかないけど。

遊行民(多くは芸能者)の中世からのあり方、その本質を辿ってみせる箇所が以下。

封鎖的な共同体的生活のなかでは処理し得ない不安・動揺・恐れといったものを、にない・になわされるという関係を通じて、遊行民は、定住民の共同体に対していった。(略)遊行はもともと秩序外的な要素をもっている。だがそればかりではない。死の管理者といった面からみた場合も、卑賤なオンボウから高僧一遍まで、繋がるのである。呪術性についてもそのことはいえる。売色にまで転落する熊野比丘尼は、山伏の妻でもありえたし、したがって熊野権現に繋がっていた。また、売色といっても、それは巫女的遊女の名残りをとどめていたともいえるし(略)もともと呪術的な宗教性によってなりたっていたかもしれないのである。そして、その呪術宗教的なものはまた、宮廷と無関係ではない。(略)中世文化について考えるとき、宮廷と交渉があったということだけで、貴族的だとは言えない。時代は下るが、近世の浄瑠璃や歌舞伎で描き出された宮廷や公卿は、大衆のなかに伝統的にあった宮廷のイメージを、あるていど伝えている。それが、呪術宗教的な遊行芸能民から発展してきた人形浄瑠璃や歌舞伎集団を通して表現されたものだということも無視できないが、逆に、大衆は、彼ら呪術芸能民の眼を通して、宮廷や公卿のイメージをもったということもあるだろう。信田妻の伝説にもとづく『蘆屋道満大内鑑』などは、陰陽師の世界と宮廷を結びつけながら語りはじめているのだが、例の異常な——妖しい恐怖の——「悪」のイメージにしても、それを、公卿悪といった形で様式化したのは、決して偶然では内容に、わたしには思える。 (45−46頁)

このあと、『小栗判官』を援用した遊行論が続く。これらはほんの「さわり」であり、「悪場所」と遊行者、芸能民との深い関係が示唆されて行く。歌舞伎、人形浄瑠璃ではおなじみの『蘆屋道満』と『小栗判官』。これらの中心人物は正統からは排除された陰陽師であったり、車に乗せられて諸国を放浪する癩病病みの餓鬼阿弥(非人)である。いずれも算所(散所)と結びついたアウトサイダーである。

遊行的なるものを明らかにして行くその切り口は鋭い。と同時にそこには並外れた洞察力、そして想像力が。そして遊行民へのコンパッションがある。そこが廣末保氏が普通の研究者とは異なっている点である。