yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

いかにも「軽かった」新作歌舞伎『NARUTO -ナルト-』@新橋演舞場 8月5日昼の部

以下、「歌舞伎美人」サイトからお借りした宣伝ポスター。

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<プロダクション&キャスト>

岸本斉史 原作

G2 脚本・演出

うずまきナルト
うちはサスケ
綱手
大蛇丸
春野サクラ
うたたねコハル
猿飛ヒルゼン
シズネ
干柿鬼鮫
薬師カブト
水戸門ホムラ
うちはイタチ
はたけカカシ
自来也
うちはマダラ
うちはマダラ

坂東 巳之助
中村 隼人
市川 笑也
市川 笑三郎
中村 梅丸
市川 段之
市川 猿四郎
中村 梅乃
安田 桃太郎
澤村 國矢
市川 欣弥
市瀬 秀和
嘉島 典俊
市川 猿弥
市川 猿之助(交互出演)
片岡 愛之助(交互出演)

 

<みどころ>

 かつて忍五大国の一つである火の国に、謎の仮面の男が操る九尾(きゅうび)という巨大な狐の化け物が現れ、国に禍をもたらした。国を守る忍びの里である木ノ葉隠れの里長、四代目火影とその妻は、自らの命と引き換えに九尾の化け物を幼い息子の腹中に封印した。その息子の名前はうずまきナルト(坂東巳之助)。
 十数年後、ナルトは忍者養成学校であるアカデミーに通い、一人前の忍者を目指していたが問題児の落ちこぼれだった。また里を襲った九尾が封印されていることで周囲の人々から嫌われていたこともあり、幼い頃からいつも孤独だった。さまざまな試練を乗り越えてアカデミーを卒業したナルトは、うちはサスケ(中村隼人)、春野サクラ(中村梅丸)とともに、はたけカカシ(嘉島典俊)率いる第七班に配属され、木ノ葉隠れの里の忍者として任務を遂行することになる。
 ナルトは里の皆から認められる存在になることを目指して努力していたが、常に自分より先を行くサスケに対してライバル心を持っていた。だが同時に、サスケがもつ影に対してどこか共感するような思いも持っており、友情を感じていた。
 一方、サスケは、幼い頃に両親を含む一族全員が実の兄、うちはイタチ(市瀬秀和)の手によって殺されるという暗い過去を持っていた。サスケは他人に心を閉ざし、里を抜けた兄を自分の手で殺すことをただ一つの目標とし、誰よりも強くなろうとしているのだった。
 ナルトたちは数々の試練に立ち向かい、やがてナルトの師匠となる自来也(市川猿弥)、五代目として火影を継ぐことになる綱手(市川笑也)との出会い、抜け忍として木の葉隠れを狙う大蛇丸(市川笑三郎)との争いを経て、世界を揺るがす強大な敵、うちはマダラ(市川猿之助、片岡愛之助)を倒すためにナルトの戦いが始まるのだった。 

 

『ワンピース』で懲りたので、見るつもりはなかったのだけれど、歌舞伎座の歌舞伎公演は9日からということで見ること能わず、国立能楽堂の能公演はチケット売り切れ、最後に残った選択肢がこれだった。ラッキー(?)なことに公演直前にチケットを譲ってくれる方があった。ただ、一万円を超えるチケット代、それに見合うものだったかというと、「否」というしかない。

元のマンガを読んでいないのだけれど、その「世界」は『ワンピース』と共通したものだった。つまり、少年冒険譚。例えていうなら、『宝島』の日本版。趣向(筋)も極めて『ワンピース』と近かった。少年(たち)が主キャラクターなので、テーマも「友情」ということになっている。元のマンガも同テーマを標榜していたのかもしれないけど、ここはもう少し「大人の味付け」があっても良かったのでは。とにかく、「家族」、「ともだち」、「人間」、「世界」といったタームのオンパレード。友愛、人類愛も「謳いすぎると」センチメンタリズムに堕ちてしまう。少なくとも私はかなり白けてしまった。少年たちを描いた作品では『バトル・ロワイヤル』、『蝿の王』(Lord of the Flies)なんて先行作品があるじゃないですか。欲は言いません。でもね、すでにこういう「傑作」が存在してしまっている以上、のんきに「友愛」を謳いあげるのには抵抗を感じてしまう。歌舞伎でも四世南北のような作家が存在しているわけで、これらマンガを基にした歌舞伎はもはや歌舞伎とは呼べないと思う。いくら登場人物が歌舞伎に倣って見得を切ろうが、これはマンガ以上のものではない。それしか提示できないというならば、それだけの脚本、役者だったということになる。

役者で光っていたのは、笑三郎。『ワンピース』の時も同じ感慨を持った。それと、猿弥。そして笑也。すべて現猿翁が育てた役者たち。彼らによって、かろうじて「歌舞伎」の体裁が整えられていた。それと隼人。彼は『ワンピース』の時よりも、ずっと生き生きしていた。特に立廻りが良かった。さすが中村錦之助を大叔父に持つだけのことはある。巳之助は『ワンピース』よりも、軽さがやたらと目立っていた。

『ワンピース』よりもずっと良かったのは、『ワンピース』ではダンスだったものが殺陣に替えられていた点。(最近調べている)チャンバラ映画の殺陣シーンを思い出して、ワクワクした。殺陣師の方たちの功績だろう。名前を挙げると、諸鍛治裕太、坂東大和のお二人。

 全体の構図でいうと、各幕の導入部にかかる能の鼓、笛の使い方は良かった。また、床(右)に浄瑠璃の太夫が出る(左に字幕)のもなかなかの工夫だった。ただ、後シーンにまでこれが「影響」を及ばさないのが、残念だった。せっかくの工夫なのに。

 不満だったのは、江戸歌舞伎では常連の「児雷也」(自来也)の「使い方」が中途半端だったこと。せっかく江戸読本のあの荒唐無稽な雰囲気を出せるところなのに、失速していた。基のマンガ版『NARUTO』にも江戸前の人物が他にも出てくるのかもしれないけど、この舞台ではいかにも唐突な感が否めなかった。