yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

ロンドン滞在期間残り半分、成果はあったか?

短かったような長かったような前半分。土日もロンドン大SOASライブラリー通い。日に6〜7時間程度、図書館に詰めている。ずっとではなく、宿泊先に間で一度帰っている。徒歩で7分というのがありがたい。夏休みの間、図書館は週日が9時〜9時、土日が10:30〜9時というスケジュール。学期中なら夜中まで開いているのだけれど、これでも十分。こういうのが日本ではできない。必要な文献が一箇所に揃っていないし、英語で書かれたものはまず無理。ここでは日本語での文献も必要なものがほぼ揃っている。アメリカでの大学院時代とまではいかなくても、かなりまとまった時間、研究に没頭できている。学生だけではなく、研究者と思しき人も結構来館。学期中は席を確保するのが難しいらしいのだけれど、今のところ、好きなところに余裕を持って座れている。WiFiが利用できるのでPCを持ち込んでいる。

日本の大学で教員をしていた時はここまで大学図書館を利用しなかった。授業の合間も図書館で過ごしていたアメリカの院生時代との落差がひどかった。資料が十分とはいえず、また閉館も午後5時っていうのが大きかった。必要な資料はほとんど私費で買っていた。いわゆる個研費ででは主として教材、授業関連ものに限定して買っていた。それでも辞める際に返した本は200冊近かった。

公共図書館だって、資料は限定的。日本語のものでも国会図書館、大阪だととんでもなく遠い府立図書館に行かなくては見られないものがある。そこに閉館時間の縛りがかかる二重苦。これでどうやって学生に「勉強しろ」って言えるんでしょう。 

この恵まれた環境を利用して、英文・日本語の文献で何が必要かを確認している。英語の能関連図書は日本語のものに比べて数がそう多くはないので(それでも100冊以上あった)、1週間で作業終了した。何冊かはアマゾンで注文、ほとんどがアメリカからの送付なので、1、2ヶ月はかかる。日本語のものは関西圏の図書館で閲覧できるもの以外、これもアマゾンで購入。

己の勉強不足を嘆くこと頻りの毎日。比較文学なので(言い訳)日本の宗教、特に仏教に関しては全くの無知。能楽研究には避けて通れないことを遅まきながら悟り、焦っている。時間との競争。20年若ければ、否せめて10年若ければって嘆いている。まあ、その頃は全く興味のなかった対象だから仕方ないのですけどね。渉猟している間に、梅原猛氏もそう遠くない昔に能研究を始められたと知り、ちょっとホッとしたりして。大家と比べるなんて、畏れ多いのではありますが。柿本人麿論、聖徳太子論を読んだ記憶が甦ってきた。

現在のところ強力な手引き書は堂本正樹著『世阿弥』。バイブルになりそう。彼が参考にされたものの一つ、伏見宮貞成親王が綴った『看聞日記』を日本に帰ってから当たらなくてはと考えている。でも漢文に頓挫する予感。

 

追記

なんとSOAS Libraryにありました!「伏見宮旧蔵楽書集成」。それも「利用可」。