yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

鹿島順一さん(鹿島順一劇団座長)の訃報はショックだった

驚いた。まだ26歳、心筋梗塞だったとか。あまりにもお若い。真っ先に浮かんだのが、大衆演劇の劣悪な興行体制。若い才能と未来のある役者さんをこういう形で失わないためにも、興行体制を考えるべきときにきているのではないでしょうか?

 

大衆演劇の興行体制は「過酷」のひとこと。一ヶ月間毎日昼、夜と公演。それもそれぞれ3時間を超えるもの。芝居も舞踊ショーも毎日変わるので、睡眠時間を削って自身の稽古をしなくてはなりません。さらに、座員に稽古をつけなくてはならない。休める日はほとんどの劇場で月一日のみ。その一回の休みも、座長大会やら他劇団へのゲストやらで、ほとんどの座長が取れていないのでは。千秋楽は月末日の一日前で、そのあとすぐに次の興行先へ荷物一式を搬出、トラック等でその荷物を目的地の劇場に運び入れるのが月最終日。翌日からすぐに昼夜の公演が始まる。初め、このシステムを聞いたとき、「ウソでしょ?!」って思った。

 

これじゃ、体調が悪くても医者に行く暇もないでしょう。だから不調でも我慢してしまうのでは。ある座長さんなど、入院されたのに一週間もしないうちに復帰されていました。ドクターストップがかかっているにもかかわらず。これが常態。きちんとした治療をしないままに、毎日の公演に追われ、次第に体が蝕まれてしまう。座長さんで長生きされる方は稀なんでは?責任感の強い方ほどそうなるのでしょうね。

 

せめて、横浜の三吉演芸場のように週一休を採り入れては?劇団側もそうだけれど、劇場ももちろんその間は入場料がなくなるので、二の足を踏むんでしょうが。でもゆっくり休めることで、病気、怪我は少なくなるだろうし、今回のように役者さんがギリギリまで不調に気づかず、亡くなってしまうというのはかなり防げるように思います。座員が「逃げる」ことで困っているところもあるようですが、それも劣悪な体制が一因では?

 

私が見た鹿島順一さんを最初の舞台は(現在は大江戸温泉になっている)「箕面観光ホテル」での『上州土産百両首』の牙次郎役で、当時はまだ鹿島虎順とおっしゃいました。正太郎役は蛇々丸さん。そのあと、『上州土産百両首』は歌舞伎を含めていくつかの舞台で見たけれど、その中でも鹿島順一版は出色でした。何と言っても蛇々丸さんの演技が良かったのだけれど、虎順さんもそれに太刀打ちするように頑張っておられた。鹿島順一座長といえば、お芝居のうまさで評判だったので見に行ったのですが、座員さんたちのレベルは予想通り高く、「やはり!」と思いました。ただ、クオリティが高かったものの、お芝居、舞踊ともにかなり旧式な感じがしたのも事実です。

 

二度目に彼を見たのは彼が鹿島順一を襲名された公演(於浪速クラブ)でのものだけれど、あまり印象に残っていません。三度目以降は、ご自分の劇団を一旦解散し、飛龍劇団に一時的に在籍されていた頃のもの。さすがにきちんとした芝居をされました。飛龍劇団というまったく体質の違った劇団で研鑽を積まれ、その経験がご自分の劇団を再結成された折に役に立つだろうと思っていました。

 

役に立つに違いないと確信したのは、飛龍劇団の優れたコメディセンス。飛龍座長十八番の『下町情話』での役が、特に印象に残っています。主人公のおふくちゃん(飛龍座長)のお見合い相手の染五郎(!)に付き添ってくる兄の幸四郎(!)という役どころ。ケッサクでした。ちなみに染五郎の妹のたか子(!)役は橘小寅丸さん。飛龍座長、小寅丸さんという「コメディお任せ」のお二人にも、順一さんは対抗しておられていました。こういうのもおできになるようになったんだと、感無量(?)でした。生真面目な方とお見受けしていたので。

 

ご自分の劇団を再結成されてから、そう何年も経っていないんですよね。こころざし半ば。きっと無念でいらっしゃっただろう。遺されたご両親、劇団員もさぞ無念でしょう。写真を撮っていたことを思い出し、当たってみたのだけれど、多くは保存していなかった上、撮っていてもピンボケが多い。一応立ちと女形二枚のみアップさせていただきます。

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心よりご冥福をお祈りいたします。