yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

仕舞「善知鳥」、「九世戸」、「水無月祓」、「女郎花」 in 「林定期能」@京都観世会館5月20日

 

 

仕舞とはいえ今までに見ていない番組が多く、とくに「善知鳥」は能として見たいのに、まだ叶っていない。この4本はそれぞれの演者たちの個性もよく出ていた上、短い中に内容のエッセンスがしっかりと演じられていて、見応えがあった。

 

仕舞の醍醐味

能は完全なフルヴァージョンの能の形で見るのが、その内容全般を確実に伝えることができるのは間違いない。でも舞囃子、仕舞、素謡、一調といった能のある部分だけを切り取って見せるというのも、完全版能とはまた違った面白味があることに最近気づいた。舞囃子で20分前後、仕舞では10分未満と短縮形になる。とくに仕舞はとても短く、あっという間に終わってしまう。ただ、短い中にも序破急があって、ドラマチックな構成になっている。Wikiの解説が参考になる。

 

能の舞はきわめて静的であるという印象が一般的だが、序破急と呼ばれる緩急があり、ハコビにおいてもゆっくりと動き出して、徐々にテンポを早くし、ぴたっと止まるように演じられる。稀に激しい曲ではアクロバテックな演技(飛び返りや仏倒れなど)もある。しかし止まっている場合でもじっと休んでいるわけでなく、いろいろな力がつりあったために静止しているだけにすぎず、身体に極度の緊張を強いることで、内面から湧き上がる迫力や気合を表出させようとする特色も持っている。

 

 渡辺保氏の解説を借りると、「能の舞の特徴は、極端な摺り足と独特の身体の構え、そして円運動である」とのこと。能の中での「クセ」、「キリ」といった箇所をハイライトして舞うもの。だから、非常にインテンシブな、つまり濃い中身になっている。達人が舞わないと序破急が出せず、バラバラとした印象になる。上の解説で言うところの「内面から湧き上がる、迫力、気合が表出」させられない。社中会では仕舞が多いのだけれど、能楽師の方々のそれとは似て非なるものが多い。形だけ真似ても能に必須の内的緊張が出せていない。だから序破急にもなっていない。ところが達人が舞うとそこにドラマが立ち上がる。静かに始まって、静かに舞い納めるられるのだけれど、間はドラマになっている。それが仮に躍動感に満ちたものでなく、静的なものであっても。

 

この日の7本あった仕舞のうちの4本が以下。

 

「善知鳥」味方團師

キリ部分を舞われた。生前善知鳥を捕えた猟師が、死後地獄に墜ち、そこで善知鳥に責め苛まれているサマを舞う。扇で善知鳥の羽の動きを模し、大きなその羽に打たれてしゃがみこむさま、善知鳥の責めに舞台に座り込んで嘆くサマがリアルだった。善知鳥と猟師の双方を演じわけ、その掛け合いに面白さがあることがわかる舞いだった。メリハリが効いていて、さすがだった。

 

「九世戸」林宗一郎師

脇能のキリ部分を演じる仕舞。龍神のサマを舞うので、躍動的。跳んでくるりと回ったり、膝を舞台についたりといった激しい動きがいくつかあり、普通の仕舞とは違った感じが楽しかった。林宗一郎師はお若いので、動きにキレがあるのがいいですね。見飽きない。でもあっという間に終わってしまって残念。また、最初に謡だされる部分も力強かった。

 

「水無月祓」 片山伸吾師

夏越の祓えが行われる賀茂の社(下鴨神社)が舞台で、恋しい人に巡り会いたいと願う男女の話を能にしたもの。仕舞は狂女が夏越の祓のいわれを語り舞う部分だそう。ということは、女は恋人に再会できなかった?登場された時から憂いを帯びた表情で登場された伸吾師。しずしずと舞われたのだけれど、時として狂女の狂乱を思わせる箇所もあり、ドラマチックだった。

 

「女郎花」 片山九郎右衛門師

前半は穏やかで、地獄に堕ちた小野頼風の霊の打ちしおれぶりを表現。後半は打って変わって、躍動的というか、アクロバット的。くるりと一回転跳んだり、膝をつきながら移動したりの激しい動作。それにつづく足をどんどんと鳴らす所作。その抵抗もやがて鎮まり収束する。実にドラマチックでワクワクした。九郎右衛門師のこの仕舞を見れただけで幸せな気分になった。