yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

息ぴったりの逸平さん・七五三さんの競演が楽しめた狂言『萩大名』in 「林定期能」@京都観世会館 5月20日

『萩大名』は昨年の10月、二条城二の丸御殿台所で演じられた狂言で見ています。茂山千作さん、千五郎さんの共演だった。千作大名の「アホ」ぶりが実におかしく、楽しかった。今回は大名を茂山逸平さん、庭の亭主をお父上の茂山七五三さんの組み合わせ。太郎冠者は井口竜也さん。

逸平さんがアホの役とはちょっとニンとは違うナって思っていたのですが、なんと、そんなことはない、ケッサクでした。大名だから大仰な衣装、態度もデカイ。でも実際は歌の一首も詠めないし、暗唱すらできない。このギャップ。前に見た千作さんの大名は最初からあまり賢くない風情でしたので、風態とアホさのギャップはなくて「やっぱり!」って思ったのですが。

この大名、歌を詠めないことが恥だとは思っていない様子。京の都では歌を詠むのは日常のこと。ましてや地位のある者で一首も詠めないなんてのはありえない。だから、それができないのは田舎者の証拠なんです。この大名、京都人(みやこびと)と自分との落差を感じない鈍感さに満ちています。この鈍感を嗤われることも意に介さない。こういうところに都人がそれ以外の地の人を内心ではどう評価しているのかが、さりげなくもありありと現れていますよね。ちょっとイジが悪いというか。

私には大名のおバカぶりを笑う(嗤う)と同時に、それを嗤う人たちをも客観的に捉えているのが、この狂言のすばらしさだと思えてしまいます。逸平さんの大名は、その尊大とおバカぶりのギャップが可笑しいのはもちろんのこと、笑っている観客を客観的に見ている目を感じさせるものでした。こういうところに近代性というか、新鮮なアプローチを感じました。

おバカな大名の珍和歌を受けて立つ七五三さんの黒子ぶりも、秀逸でした。大仰にバカにするのではなく、大名のおバカを(たぶん)見抜きながらも、ちょっと引いてそれを観察する感じ。さすが親子だけあり、ここのところの息がぴったりでした。息子に下駄を預けている感じが、普段の親子関係をも偲ばせるような気がしました。読みすぎ?なんともほんわかした気分になった『萩大名』でした。さすが京都の茂山家。