yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

能『鉄輪』 in 「平成30年第二回 林定期能」@京都観世会館5月20日

『鉄輪』は初見だったので、楽しみにしていた。夫に捨てられ嫉妬に狂った女。その女は鬼になり、夫に呪いをかけたものの、安倍晴明の解呪によって退散させられる。『葵上』もそうだけれど、女と嫉妬の念はしっくりくる(?)組み合わせなんだろうか。女の側に嫉妬という手段でしか男の心変わりに対抗できないという悲しい縛りがあるからなのにと、女の私は釈然としなかったりする。でも読み物でも、演劇でも「嫉妬に狂った女」っていうのは、題材としては面白いのは確か。

 

頭に被った鉄輪の禍々しさ

『鉄輪』の場合はそれをよりドラマチックにする演出があるからなおさら。火を灯した鉄輪を頭につけ、鬼面をつけて揚幕から走り出てくる女の姿の禍々しさ。能の鬼の中でも一度見ると忘れられないインパクトのある姿である。「丑の刻参り」というのを最初に知ったのは横溝正史作の『八つ墓村』でだった。響きの暗さとともに、懐中電灯を頭に付けて村を走り回る田治見要蔵の姿が目に焼き付いた。五寸釘という言葉も初めて知った。

 

舞台で見る鉄輪を被った女は、想像を超えて怖ろしかった。小説で読むよりも舞台効果の方が強烈なのは当然だろう。でも、「安全な」能楽会館の中なので、行き着くところまで行く手前で踏みとどまっていたように思う。仮にこれが夜の神社の暗闇の中で乏しい明かりのみを頼りに演じられていたら、怖ろしさは極みまで行っていたかもしれない。

 

作者/場所/季節/貴女もの

以下、「銕仙会」能楽事典からの解説をお借りする。

作者

不詳

場所

前場:貴船神社(現在の京都市左京区 貴船山の中腹)
後場:京都 下京(しもぎょう) ワキツレ(夫)の邸宅

季節

晩秋

分類

四・五番目物 鬼女物

 

概要/演者

概要と演者は以下。

夫に捨てられた都の女(シテ)が毎夜貴船明神に丑の刻詣でをしていると、ある夜、神職(間狂言)から神託を告げられる。それは、全身を真っ赤に彩り、頭に鉄輪を載せてその三本足に火を灯せば鬼となれるというものであった。一方、その女の夫(ワキツレ)は最近夢見が悪いので、陰陽師安倍晴明(ワキ)に占って貰ったところ、今夜にも前妻の呪いによって絶命するという。晴明は夫と新妻の人形を作り、呪いを人形に転じ換えようと祈祷をする。そこへ鬼と化した前妻(後シテ)が現れ、人形を責めるが、晴明の祈りによって御幣に降臨した神々に責め立てられ、鬼女は退散してしまうのであった。

 

前シテ

夫に捨てられた女    河村和貴

後シテ

女の生霊(いきりょう) 河村和貴 

ワキ

陰陽師・安倍晴明    原大

ワキツレ

女の夫         原陸

間狂言

貴船神社の社人     茂山忠三郎

後見    林宗一郎 片山伸吾

 

小鼓   林大和

大鼓   山本寿弥

笛    杉市和

太鼓   前川光長

 

地謡  國長典子 河村紀仁 樹下千慧 河村浩太郎

    松野浩行 河村晴道 味方團 田茂井廣道

 

河村和貴師のシテ

河村和貴師がシテを務められる能は初めて。がっしりとした体軀の方なので、動きに迫力がある。それにまだお若い(30代?)のでしっかりした足さばき。ただ、シテの女の暗い情念のようなものは出し切れていなかったように感じた。情念からくる翳りというのは、面の角度だけではなく、身体の微妙な動きで表さなくてはならないんですよね。非常に難しい。面をつけて、表現するにはまだ若すぎる?

 

間狂言の茂山忠三郎師が生き生きと気を吐いておられて、和んだ。この日の狂言も大蔵流で、茂山逸平師とお父上の茂山七五三師さんが大活躍。こちらも素晴らしかったけれど、別稿にする。

 

京都観世会館での「林定期能」」が終わったのが午後5時過ぎ。高島屋での「羽生結弦展」を見るには、時間不足だったので、翌日に出直した。羽生結弦選手の演じられた晴明。能の『鉄輪』に登場する晴明。この二人の晴明が「シンクロしているように思えた。そうそう、晴明が登場する能の番組はこの『鉄輪」のみだとか。能の時代に陰陽師はまだまだ活躍していたはずだけれど、なぜ登場がないんだろうって、不思議な感じがした。