yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

片山伸吾師シテ、梅田嘉宏師シテツレの能『国栖』@京都観世会館四月例会「音阿弥生誕六二〇年の記念」4月22日

当日の公演一覧、演者一覧は以下。能三本、午前11時開演午後4時半終了のとても濃い公演内容だった。睡眠不足で体調を崩し行くのを止めようかと迷った末の観劇。遅刻で一本目の『志賀』のほぼ最後で入室した。全くもって迷惑な客。ごめんなさい。

当日のプログラムを以下にアップしておく。

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以下が『国栖』の演者一覧。

前シテ 国栖の里の老翁 片山伸吾  
後シテ 蔵王権現    片山伸吾 
前ツレ 国栖の里の姥  梅田嘉宏
後ツレ 天女      深野貴彦
子方 清見原天皇   梅田晃熙

ワキ 天皇の臣下   江崎欽次朗
ワキツレ 輿舁(こしかき)和田英基
              松本義昭
アイ   敵方の追手   茂山忠三郎 
              山口耕道
小鼓    成田達志
大鼓    谷口正壽
太鼓    井上啓介
笛     左鴻泰弘

概要を銕仙会のサイトからお借りする。

叛逆に遭った清見原天皇(子方)が臣下(ワキ)に伴われて吉野山中 国栖の里へ迷い込み、一軒の庵で休んでいると、そこへ老翁(前シテ)と姥(前ツレ)が帰ってくる。老夫婦は突然の帝の来臨に驚きつつも、空腹の帝へ食事を献上する。やがて鮎の残りを下賜された老翁は、この鮎で帝の行く末を占おうと言い出す。老翁が川に放つと、鮎はたちまち生き返り、一同はこの吉兆に喜ぶのだった。ところがそこへ敵の追手が迫り、絶体絶命の危機。老翁は帝を匿うと、決死の思いで追手(アイ)と渡りあい、撃退に成功する。帝は老翁の気高い心を讃え、感謝の言葉を述べるのだった。

その夜。辺りは幻想的な雰囲気となり、やがて妙なる音楽に引かれて天女(後ツレ)が現れ、舞の袖を翻す。そこへ、今度はこの山の守護神・蔵王権現(後シテ)が出現し、来たるべき帝の治世を言祝ぐのであった。

大海人皇子(ここでは清見原天皇)が兄、天智天皇の皇子、大友皇子に追われて吉野に逃走、そこで兵を挙げたという歴史の一コマが背景になっている。やがて大海人皇子は大友皇子を滅ぼして(壬申の乱)、天武天皇に即位する。古代史ではあまりにも有名な話ではあり、私などは日本史でこれを習った際、大友皇子に同情を禁じ得なかったものだけれど、この能では大海人皇子側に立って二人の争いを見ている。確かに藤原鎌足と組んで蘇我入鹿を滅ぼし、大化の改新を成し遂げた中大兄皇子、後の天智天皇はいかにも冷酷である。でもこの冷酷さは到底息子の大友皇子に伝わっているとは思えず、心情的には判官贔屓になってしまう。

額田王を挟んでの天智天皇と大海人皇子との三角関係なんてのは、漫画にもなっている。今時の週刊誌ネタとしても「オイシイ」話ではあるだろうけど、私が高校生の頃でもかなり魅力的な逸話ではあった。もっといえば大海人皇子と額田王との間の娘、十市皇女は大友皇子の正妃だったから、想像は想像を呼んで、壮大なメロドラマを造型してしまうのは致し方ないかも。

話を元に戻して、『国栖』。予想通り、片山伸吾師のシテが秀逸だった。翁の風情を出すのに、背をかがめ声調も落としての演技、堂に入っておられた。また天皇を敬いつつもそれを超えた神の風格を出しておられた。子方に子供の演者を持ってくるのは、シテの方が実は「上格」であることを観客に示す意図があるからだろう。ここでもそれは活きていた。

子方の梅田晃熙君もよく頑張っていたけれど、きっとお父上の(嫗を演じた)梅田嘉宏師は気がきではなかったのでは。でもそういう様子を微塵も見せず、嫗役に徹しておられたのは、さすが。

囃子方の力強い演奏が素晴らしい。小鼓の成田達志師、大鼓の谷口正壽師、太鼓の井上啓介師、そして笛の(藤田六郎兵衛師のピンチヒッター)左鴻泰弘師、それぞれが圧巻の演奏。シテ、ワキ、アイの演技の流れに点刻を打ってサポート。中でも成田師と谷口師の掛け合いが格別。聞き惚れた。

とはいえ、私が(ミーハーらしく)一番感動したのは、後見のお二人。九郎右衛門師と味方玄師。お二人が並んで座っていおられるだけで「カワイイ!」って叫びそうになってしまった。そういう雑音は無視して、端然と優雅に、楚々と舞台鏡板前に正座されているお二人に終始目が釘付けだった。