yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

五十五世梅若六郎師の能『隅田川』(DVD 能楽名演集)

最晩年70歳の頃の舞台。六郎師55歳の『松虫』を先日DVDでみて、涙が止まらなかった。初見ではなく以前にも見ていたのに、そのときは特別胸に激しく迫るものがあった。おそらく初見時は見る目がカルティヴェイトされていなかったのだろう。六郎師60歳の『卒都婆小町』が一緒に収められていたのだけど、こちらも今までに何度か見てきた(実演の)舞台をはるかに凌駕するものだった。これで思い立って、当DVD版『隅田川』を入手した。

脚の衰えは確かに隠せないけれど、謡は『松虫』、『卒都婆小町』のものと同様に絶品。声はやはりご子息の梅若実(玄祥)師をしのばせた。声調は嫋嫋としているのに、弱いわけではない。むしろ激しさを抑圧して絞り出している声。でも気張っているわけではなく、自然体にみえる。抑揚と強弱のつけ方が独特で、シテの悲しみがその声の合間から滲み出ている。切々としているのだけれど、情に溺れきっているというわけではない。でもそれが見る側に余計悲しみをかきたてる。いたたまれなくしてしまう。観世寿夫さんの謡も素晴らしいけれど、六郎さんのものもそれと双璧をなす。いずれも録画でしか体験できないのが、口惜しい。六郎さんの謡をそのまま受け継いでいるのが現梅若実師だと先日良くわかった。何年か前に檜書房がリリースした一調「松虫」(大倉源次郎さん小鼓)も絶品だった。折あるごとに聴いている。でも今後は実師の舞台をできるだけ見ようと思った。彼ももう69歳、この『隅田川』を舞われたお父上の年齢に近づいている。

以下はNHKの解説に付いていたもの。

華麗繊細な芸と天性の美声で人気が高かった梅若六郎(1907~1979)、最後の放送映像。「隅田川」は、能を大成した世阿弥の長男・観世元雅による悲劇の名作。
囃子方ともども、明治生まれ最後の世代の芸を知る、貴重な記録。(1977年2月27日NHK教育「NHK劇場」にて放送)

シテ 梅若六郎
子方 角当直隆
ワキ 宝生弥一
ワキツレ 宝生閑
笛  田中一次
小鼓 鵜澤寿
大鼓 瀬尾乃武
後見 梅若雅俊 角当行雄
地謡 地頭・梅若泰之 副地頭・梅若景英
山崎英太郎・小山文彦・高橋甫治・土田修仙・平井和夫・梅若慎也

ワキ、ワキツレの宝生弥一師、宝生閑師はのちに人間国宝。小鼓の鵜澤寿師大鼓の瀬尾乃武師ものちに人間国宝。梅若六郎師は芸術院会員。人間国宝になってしかるべきだった。

さて、舞台。祠のようになった木立の前でさめざめと泣く狂女。探し求めていた幼い息子、梅若丸がここで亡くなり、葬られたと知ったから。この嘆くさまが、真実胸に迫る。顔を少し傾けるところ、手を顔の前にあげる仕草、肩を落とし、腰も落として落胆するさま。そして何よりも、深い憂いを湛えた語り。それぞれが狂女の息子を恋うる想いと二度と息子に会うことのない嘆きとを、ダイレクトに見る者に訴えかけてくる。

その祠から亡き息子が出てくる。逢いたかった、やれうれしやと喜ぶ間もなく、息子は捕まえようとする母の手をすり抜け、祠の中へ消えてしまう。実師の所作が真に迫っている。そのあとの虚しさの表現も真に迫っている。哀れ、そして悲しい。

『伊勢物語』の歌、趣向が多く採り入れられたこの『隅田川』、世阿弥の息子、観世元雅作だという。この元雅は若くして亡くなり、父世阿弥を嘆かせた。そういう背景も合わせて見てしまった。