yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

「新米刑事モース~オックスフォード事件簿~」(原題「Endeavour」)第一話「華麗なる賭け/ある晴れた日に」

先日、たまたまNHK BSで放映されている第二話「Case2 泥棒かささぎ」を途中から見て、魅入られてしまった。「新米刑事モース~オックスフォード事件簿~」は以前に放映されたコリン・デクスター原作「主任警部モース(Inspector Morse)」(1986-2000)シリーズの続編。続編といっても、新シリーズは若かりし頃のモース警部を描いている。当然主演役者も異なっている。以前のシリーズを見ていないのだけど、連れ合いがアメリカにいる頃によく見ていたらしく、話を聞かされていたので、なんとなく「馴染み」がある(気がしていた)。途中からみた第二話はいかにもイギリスのサイコスリラーものという感じだった。魅入られたツケはNetflixと契約することで決着した。NHK BSでこれからしばらくは毎土曜日放映らしいのだけれど、待っていられないので。

早速第一話「華麗なる賭け」(NHKでは「ある晴れた日に」という題になっている)を身終えた。日本語のWikiサイトをリンクしておく。このWiki にはモースについて、以下の解説が。

舞台は1960年代中ごろのイングランド・オックスフォード、主人公はオックスフォード大学ロンズデール・カレッジを中退したエンデバー・モース。大学3年生の時に陸軍の通信部門に所属したが、除隊後に大学の学位を取得できずに退学し、カーシャル・ニュートン警察に入った。

またこの第一話についての解説が以下。

15歳の少女が殺害され、彼女のボーイフレンドが明らかに自殺と思われる状態で発見される。オックスフォード市警は捜査の過程で少女たちがセックス・パーティに参加し、政治家やビジネスマン、市の有力者、警察官らに売春を斡旋されていたことを突き止めるが、証拠の入手は難を極めた。刑事巡査になったばかりのエンデバー・モースは重要と思わなかった捜査情報を上司に報告せず、叱責を受ける。元々文学の道を志していたモースは血や死体が苦手なため、警察を辞める決意をする。しかしながら、モースの捜査能力を認めたフレッド・サーズデイ警部補は、モースに捜査を続けさせてこの事件を無事に解決に導き、オックスフォードを去ろうとしていたモースを引き留める。

この解説、一箇所誤りが。確かにモースは血や死体が苦手ではあるけれど、それで辞職しようとしたのではない。車の代理店を営むセックスパーティの主催者を突き止め、彼とトラブったため、市警のトップから解雇を言い渡されたのである。

文学好きは本当。上の解説にもう一点付け加えるとしたら、モースのクレージーなほどの音楽、特にオペラ好きであることだろう。彼の中では文学と音楽は不可分になっている。日本語のタイトル「ある晴れた日に」はもちろんプッチーニのオペラ『蝶々夫人』の中のアリアを指している。オックスフォード大の教授夫人でありオペラ歌手でもある女性がこのアリアを歌う場面が終局近くに来ている。ネタバレをしてしまえば、彼女が少女殺しの犯人だった。彼女の夫もパーティ参加者。しかもそれで知り合った女子高生に詩集を貸していた。

女子高生のベッドサイトに、彼女とそのバックグラウンドにはおよそそぐわないハードカバーの詩集が置いてあった。新米モースはこの詩集にこだわって、捜査を進める。マシュー・アーノルドの詩が出てきて、驚いた。学部生だった(一応学部は英文学科だったので)ころに還った気がした。

エピソードを覆っているのが、オペラ曲の数々。気が付いたところでは『トゥーランドット』(Turandot)、『コジ・ファン・トゥッテ』Così fan tutte)。教授夫人はモースが思春期に惚れ込んだ歌手であり、彼女のレコードを大切にしている。彼女は地元のクワイヤ(聖歌隊)でも歌っていて、ガラで「ある晴れた日に」を歌う。そこにモースとその上司のサーズデイ警部補とが踏む込むという設定。

事件を解明のため教授を追って彼女を訪ねるうちに、彼女に強く惹かれてゆくモース。だから、彼女が最期に首をくくって落とし前をつけたことに強い罪悪感を抱いてしまう。こういうところがいかにも文学青年。

文学といえば、大抵は詩を指すのが英国。この教養がないと芝居の面白さは半減する。オペラも然り。オックスフォードに奨学金で行ったモースがこちらの分野でいかに秀でていたかがわかる。いやしくもオックスブリッジに関係する者はこの程度の教養があって当然なのだ。日本では考えられない。源氏、平家、そして和歌集等の教養のある大学人を残念ながらあまり見かけなかった。まして謡曲等の伝統音楽においておや。

ときとしてはスノビズムに堕ちいるほどのペダンティシズムに満ち満ちているのが、英国の優れた文学作品なのかもしれない。その王道を行っているのがこのシリーズ。楽しいと同時に「試されている」気もする。教養と階級とは連動していることが多く、それがスノップにも通じるのだろう。階級、これも日本人にはあまりピンとこない概念だし、日常的に「経験」させられることはあまりない。でも英国ではそれは嫌という程歴然としていて、日常を覆っている。今でも。オックスフォードをドロップアウトしたモースがかっての学生仲間に気後れを感じてしまうのにも、それが表れていて、ちょっと苦しくなる。