yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『摂州合邦辻』in 「初春文楽公演」@国立文楽劇場1月24 日第一部

「合邦住家の段」のみ。Wikiに詳しい解説が載っているし、長い段なのであらすじは割愛する。説経節の「しんとく丸」などが題材になっている。ちなみに寺山修司の『身毒丸』(1978)も、この説経節を素に書かれている。継母と義理の息子の恋愛といえば、古いところではギリシア悲劇エウリピデス作『ヒッポリュトス』がある。またそれをソースにしたラシーヌの『フェードル』がある。つまり古くて「馴染みのある」テーマといえる。

歌舞伎版(「合邦庵室の段」はいくつか見ている。最も良かったのが2015年5月歌舞伎座で観た菊之助が玉手を演じたもの。彼の祖父、梅幸が玉手のものも見ているが、それよりも良かった。なぜなら、彼の作品解釈が現代的で、従来のものと違っていたから。玉手の嫉妬に狂ったサマ、それも顔色一つ変えずに演じるというサマは怖ろしくも感動的だった。今でも目に浮かぶ。説経節ではおそらく歌舞伎バージョンのように「オチ」がついているのだろう。つまり、玉手の嫉妬と狂いは「方便」であったという。そうじゃない、やはり玉手は俊徳丸に恋をし、恋情に狂っていたんですよね。その方がよほど納得できるではありませんか。情念の激しさが猛烈な勢いで見る側に迫ってくるじゃありませんか。その濃く、熱い情念の前では、浅香姫の俊徳への想いなんて、ちっぽけだし弱い。

もちろん文楽版も歌舞伎版と同じく最後には玉手の狂いが方便であり、自身を犠牲にして俊徳の目を治すという従来形になっている。善男善女が見るものだから、こういうオチになるのは理解できる。ただ、舞台ではそれからはみ出るものを見たい。抑えても抑えきれない「過剰」を確認したい。それが法を超えてはみ出してしまう現場を見たい。

今回の『合邦』ではその過剰が確認できた。桐竹勘十郎さんの玉手御前。凄まじかった!とくに親に引っ張られて中へ引っ込むのに、力一杯抵抗する場面。玉手の発するパワーに圧倒された。あれ、ずっと瞼に焼きついていますよ。

以下に主だった役割一覧を。

中  
南都太夫
清馗


咲太夫
清治


織太夫
燕三

この公演は咲甫太夫の織太夫襲名興行。ということで、奥は新織太夫。非常にドラマチックな語りで、パワー全開という感じ。ただ私としては、もう少しトーンダウンして、というか力は裡に溜めて語って欲しかった。以前に(1994年頃)に聴いた住太夫の「合邦」では、表に出さなくても滲み出てくる悲劇感がすごかった記憶がある。文楽は初めてという同僚と一緒だったのだけど、彼女が泣くので恥ずかしかったくらい。それほど感動的だったということ。新織太夫、これからの伸び代のある方だと確信しているので、次回は「泣かせてくれる」のを期待している。