yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

片山九郎右衛門師の舞囃子「高砂」 in 京都観世会「謡初式」@京都観世会館2018年元旦

みどころ満載の謡初式。期待に胸膨らませて出かけた。開演10分前に到着したら、ほぼ満席。正面席はいっぱいだったので、中正面に。柱がちょっと邪魔になるけれど、シテの舞も地謡方もお囃子もよく見える。

京都観世会幹部の方々による舞囃子、仕舞、加えて狂言大蔵流茂山家の方々がうち揃っての会。始まる前から、すごいことになりそうなのは予見できた。実際その通りだった。以下が次第と演者の皆さん。

舞囃子 「高砂」  片山九郎右衛門
仕舞  「鶴亀」  井上裕久
仕舞  「吉野天人」河村晴久
仕舞  「鞍馬天狗」浦田保浩
舞囃子 「羽衣」  大江又三郎
狂言小舞「雪山」  茂山千作
舞囃子 「猩々」  青木道喜
祝言  「四海波」 全員

九郎右衛門さんの「高砂」はここしばらくずっと拝見したいと切望してきていた。大満足。先だってこの観世会館で大連吟の発表会があり、そこで謡ったのが「高砂」だったから。京都観世会を率いられる九郎右衛門さんのシテはさすがのみごとさ。九郎右衛門さんの舞はどちらかというとそのはんなり感に特徴があると思っていたけれど、今回のはちょっと違っていた。はんなり感が横溢している箇所(私が最も好きな箇所でもあるのだけれど)は「後シテ」登場の以下部分。

西の海 檍(あおき)が原の波間より 現れ出でし 神松の 春なれや 残んの雪の浅香潟 玉藻刈るなる岸陰の 松根によって腰を摩れば 千年の翠 手に満てり 梅花を折って 頭に挿せば 二月(じげん)の雪 衣に落つ。

ここ、たおやかな風情で舞われるのかと思っていたら、予想が外れた。もっとアグレッシヴな感じがした。その後の長い舞のところもいつにも増して強く押し出す感があった。それは最後の「神舞」のところで一層際立っていた。特に以下の箇所。

神と君との道すぐに 都の春に行くべくは それぞ還城楽の舞 さて萬歳の 小忌衣 指す腕には 悪魔を拂い おさむる手には 壽福を抱き 千秋楽は民を撫で 萬歳楽には命を延ぶ 

「指す腕には 悪魔を拂い おさむる手には 壽福を抱き」の悪魔を拂う所作に並々ならないエネルギーが込められていた。諸々の悪い気が一掃された、そんな感があった。京都観世会の安寧とそこに集う人たちの安寧を祈念する強い思いの発露とでも言おうか。常の九郎右衛門さんに感じていた風情とは違った、どちらかというとマスキュリンな強さ。こういう面を密やかに溜めておられたんだと(勝手に)想像してしまった。

総勢四十人ほどの京都観世会のみなさんがうち揃って最後に謡われた「四海波」。感動的だった。もっと感動したのが、終演後、ロビーで能楽師の方々が祝い酒を振舞ってくださったこと。味方玄さんから紙コップに入ったお神酒を頂いた。感激。その後に九郎右衛門さんからも頂きたかったけれど、二杯は厚かましすぎると諦めた。残念。