yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

観るべし!<片山九郎右衛門+味方玄>チーム、『鷹姫』@京都観世会館10月22日

台風襲来の中、観世会館の中は熱かった!午前の部と午後の部の2本立て。午前の部を迷うことなく選んだ。片山九郎右衛門さん、味方玄さんの舞台だったから。

あらかじめ予想していたとはいえ、片山九郎右衛門さん、味方玄さんの、まるで役の人物が憑依したかのような演技に圧倒された。加えて他の演者、おひとり、おひとりが渾身の演技、演奏をされた。それらが競い合いつつも融合し、一つの世界を創り上げていた。おそらく今までの『鷹姫』で最高の舞台だったのでは?こんなすごい舞台、一生のうちにそう何回も観られるものではない。ただ、感服、そして感動。

以下に演者一覧を。

老人   片山九郎右衛門
鷹姫   味方玄
空賦麟(くうふりん)宝生欣哉

岩    浅井文義 河村和重 吉浪嘉晃 片山伸吾 
     分林道治 大江信行 深野貴彦 宮本茂樹

笛   杉信太朗
小鼓  吉阪一郎
大鼓  河村大
太鼓  前川光範

後見  味方團 青木道喜 浦田保親

W.B. イェイツの『鷹の井戸』をもとに書かれた能作品、『鷹姫』。W.B. イェイツの『鷹の井戸』がどういう経緯で能の『鷹姫』になったのかというのは、以前にこのブログ記事にしている。松岡正剛氏の「千夜千冊」を参考にさせていただいた。

その『鷹姫』を梅若玄祥さんが「ケルティック能『鷹姫』」として今年2月に上演。その際はアイルランドのコーラス・グループ、「アヌーナ」との競演だった。残念ながら見逃している。遡って一昨年には、老人・大槻文蔵、鷹姫・大槻裕一、空賦麟・野村萬斎という配役で大槻能楽堂で上演。監督は萬斎さんだった。こちらは「純日本」仕様のプロダクション。

昨日のプロダクションも純日本のもの。おそらく梅若玄祥さんのものとは違い、圧倒的に「日本」。どこまでも能の舞台(ピリオド)。最初から最後までピンと張りつめた空気の中で演じられる能。もちろん能舞台はすべてそうなんだけれど、今日のものはいつもと質の違った緊張感が漂っていた。片山九郎右衛門さん、味方玄さんお二方にとっても初演であるだろうし、他の能役者の方々にとっても初演だっただろうから。そしてその緊張感があの「悶絶もの」の舞台を創り上げたのだと感じた。

もとになったのがイェイツの作品であることを忘れてしまうような既視感があった。漂う空気感は日本。その点で、先日見た『冥界行』(ネキア)とは明確に一線を画していた。どちらも好きなんですけどね。『冥界行』(ネキア)が醸し出す異端性。観る者を巻き込み、挙げ句の果てに放り出す過激さ。昨日の『鷹姫』は、『冥界行』と違い、どこまでも能であり、観客との親和性を追求していたけれど、やっぱり過激。「最後に放り出された感じ」は同質のものだった。こういうのは見ている側にかなりの緊張を強いる。ずっと目を瞠ったまま、いきもつかずに見てしまった。あっという間だった。

もっとも感動的だったのは鷹姫がふっと泉を覗き込む仕草。空賦麟との立ち回りのクライマックスにこれが何回か入る。気高く、美しい。何ものをも寄せ付けない尊大なサマの鷹姫が、ここだけ人間っぽく感じられる。それは神というより生身の人間の艶かしさ/妖しさを見せる場面。面に人間の体温を感じた瞬間だった。ここの味方玄さんがとにかくすばらしい。言葉があまり適当ではないかもしれないけど「色っぽい」。『天守物語』の玉三郎=富姫が重なった。

九郎右衛門さんの老人。前場と後場とでまるで声調、雰囲気を変えておられた。前場では話し方も弱々しくしゃがれ声、動作も緩慢。それが後場では打って変わって強く朗々と謳いあげ、動作も機敏。このギャップに、同一人物とは思わない観客もいたのでは。このメリハリの付け方に、彼の作品解釈が明確に出ていた。とはいうものの、結末は閉じられないまま。解釈はわれわれの側に委ねられたように感じたんですけどね。

空賦麟役の宝生欣哉さんも泉の水を断られ、ボーゼンと舞台に佇むサマがおかしくも、健気な感じ。観客が感情移入できる人物=英雄としての役割を担っていたんだけど、その英雄らしからぬドジぶりに、「ガンバって!」て声援を送ってしまった。

「岩」も良かった。さすが能楽師の声量。ど迫力!右側(上手)先頭に陣取ったのは背の高さからしておそらく大江信行さん。朗々と謳いあげるのが素晴らしかった。左側先頭は浅井文義さん?同じく素晴らしい声と演技だった。これだけの方々を揃えるのはさすがトップ集団。瑕疵がないのが悔しいくらい。

お囃子もすごかった。笛:杉信太朗、小鼓:吉阪一郎、大鼓:河村大、太鼓:前川光範さん、昨日の観世会館、「杉会」でも圧巻の演奏を聴かせていただいた。最近はこの組み合わせの舞台を、頻繁に見ている気がする。お囃子なくしては優れた舞台にならないことが毎回よくわかる演奏。

ちなみに空賦麟(くうふりん)とはアイルランド神話の人物。学部のころよくこの名を聞いたことを思い出し、懐かしかった。