yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『ジキル博士とハイド氏(Jekyll & Hyde)』by The National Youth Theatre REP Company@Ambassadors Theatre 10月2日マチネ

評価は、うーん、難しい。この作品、大学の授業で映画版を使ったことがあり、実際の舞台でも見たかった。ただ、予想していたのとはおよそ異なったものだった。というのも、ジキル博士とハイド氏が女性ということになっていたから。これ、評価は英語で書くべきなんでしょうね。いずれそうするつもりですが。以下、ナショナル・シアター・ライヴの公式サイトからお借りしスティール写真。

ひとことでいうなら、到底映画版には及んでいなかった。とはいうものの、あのビクトリア朝の陰鬱な雰囲気の中で生まれた「ジキルとハイド」を現代の舞台に上げるのはかなり冒険だろう。それを「女性版」に代替するというアイデアは買える。思いっきりパロディとして「洒落のめす」には、誰が考えてもそれしか思いつけないだろうから。でもそこに頼りすぎたというか、安住したというか、そんな感があるのも事実。

Young Theatreと銘打っただけあり、若い役者たちの奮闘ぶりが素晴らしかった。誰っていうことはなく、女性、男性、役者全員が素晴らしかった。若いパワーでマイナスもプラスに変えていた。高く評価したい。何よりも楽しかった!先日の「Le Grand Mort」を見たときにも感じたことだけど、劇場の一体感がすごい。今回の観客は先日とは違い高校生がほとんど。でもやっぱり一体感があるんです。収容人数100名足らずの小さな劇場。まるで大衆演劇の常設館を思わせる。懐かしくも温かい。とても快適!芝居を見るのは、やっぱりこういう場でなくっちゃ!

オフィシャルサイトの解説が以下。

Everyone has another face they hide behind… The National Youth Theatre REP Company invite you into the world of Victorian England, where civilised society meets seedy Soho for a thrilling new adaptation of Jekyll and Hyde from award-winning playwright Evan Placey (Consensual, Girls Like That) Directed by Roy Alexander Weise (Mountaintop, JMK 2016 Winner), this classic tale of secrets, deceit and revenge will be brought to life by some of Britain’s most exciting emerging talent on one the West End’s most historic stages.

Directed by Roy Alexander Weise (Mountaintop, JMK 2016 Winner), this classic tale of secrets, deceit and revenge will be brought to life by some of Britain’s most exciting emerging talent on one the West End’s most historic stages.

Placey’s female-led adaptation will interrogate the Victorian seperate spheres domestic–public dichotomy putting women centre stage where they are completely absent in the novella.

ビクトリア朝といえば、女性が「女性らしく」あることを家の内でも外でも求められていた時代。その窮屈な価値観「dichotomy」を転覆させ、抑圧者である男に一矢報いるという内容になっていた。

「dichotomy」を視覚化するのに色々な二分法的対比を用いて、工夫していた。まず服装。ジキルは襟元までボタンを留め、(骨でできた)コルセットで体を締め付けた黒づくめ、踝まであるロングドレス姿で登場する。それがハイドに変身するところが面白い。襟もとをはだけ、胸も露わになる。コルセットは外され、めくられたスカートの下にはkinky bootsが!他の女性登場者も同じ。ビクトリア調ではいかにdichotomyで成立した社会だったかを示している。その象徴として使われたのがこの極端な服装の対比だった。

言葉遣いにもdichotomyが。お上品な、いわば「ざまず」調からコックニー訛り丸出しの下品なセリフへと、服装に合わせて変えられる。ここ、楽しいけど、ほとんどわからず。野卑な方の内容はきっとめちゃくちゃおかしかったんだろう。観客、湧いていたもの。

場所もキューリー夫人のそれを思わせる実験室を伴った家とキャバレーとが対比されていた。人間の欲望が抑圧された時代が視覚的に立ち上がる工夫。もちろんそこに生きる人間にも抑圧への代償があるわけで、そこを男女逆転させて描こうとしていた。脚本は上の解説にあるように、賞を獲っている。

でもほとんどの観客は高校生!エネルギーを持て余している風。この「性」が大きなテーマになっている作品の「あやうい」ところでは「ヤンヤ」のヤジが飛ぶ。日本だったらこういう過激な作品を見せたら保護者からクレームがじゃんじゃん来るだろう。