yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

大英博物館の「日本ギャラリー」の展示

今日は午後2時からウェストエンドでマチネを見る予定だったので、それまでの間、大英博物館に出かけてきた。

小さい息子を母に預けて毎年のように英国に来ていたことがあった。そのほとんどがロンドンで、芝居を見るのが目的だった。今までに計8、9回は来ているのに、大英博物館を訪れたのはたった一度だけ。それも記憶の彼方。エジプトのマミーを見たことしか覚えていない。考古学的センスが皆無だったんですね。歳を喰った今も怪しいけど。日本については聖徳太子絡みの寺、旧蹟などはむずかる息子を引っ張って訪れたりしていたのだけど。

大英博物館に日本のコレクションを展示する「日本ギャラリー」があることも知らなかった。もっとも、その開設が1990年と「新しい」ので、私が頻繁に行っていた時期とはかぶらないけど。「日本ギャラリー」は室数で行くと90番台の部屋になる。以下がオフィシャルサイトの解説。

大英博物館の日本ギャラリーは1990年4月にオープンし、2005年半ばから2006年にかけての約一年間の大改装工事を経て2006年10月に常設展示として再オーブンした。新しいギャラリーでは、日本の先史時代から現代までを紹介している。新しい方法で日本を展示することに力を入れており、展示品についての解説も工夫している。

また現代作品の紹介にも力を入れており、人間国宝を含む現役の工芸作家の作品の展示も重視している。その中でも特に技術の高いものを今後展示していきたい。また過去には生け花の実演を行う特別展示を行ったこともあり、最近では「生きている」とか「現代」というのが展示をする際のキーワードである。
・展示品には、アイヌ民族の衣装、被爆後の広島の地図、鉄腕アトムなどの漫画のポスターやその他映画のポスターなど様々なものがある。(年に3回展示替えがあり、これらの作品は展示されていない場合がある)

大英博物館三菱商事日本ギャラリーで陶芸展示を手がけている中で最近感じることは、近年日本の存在感が落ちているということである。日本の存在感を上げるためにまた何か特別展を企画したいという気持ちはある。ただ最近の傾向として「craft, tradition」という単語を使うと来館者数が伸び悩むという傾向があり、例えば、craftはcraftingに、traditionはbeautyに置き換えるなど、表現方法も含め、どのようなかたちで日本を見せていくかという点が課題である。

そう、確かにこの博物館に限っていえば、日本の存在感は落ちている。歴史的に英国との「歴史」が長いChinaの展示が多いのは当然としても、Koreaが(おそらくは)政府肝入りでコレクション展示に力を入れているのと比べると、日本ギャラリーが貧相な感は否めない。展示物自体の数が少ない上に、質的にも上級のものが少ない印象。おそらくは予算の問題。三菱商事がパトロンでお金を出しているようだけど、到底それでは足らないのだろう。例の隣国が捏造の「慰安婦問題」を英国でも声高に言い立てているとか。随分と資金も投じているはずで、それがKoreaの部屋」に表れているように感じた。対外的イメージ戦略の重要性を、日本政府は今ひとつ理解していないように思う。その点ではかの国を見習うべきかも。

今回のロンドン、観光客も日本人が極めて少なく、圧倒的にかの国の人に出くわすことが多かった。この大英博物館でもそうだった。政局が落ち着いたら、ぜひ文化面での対外政策にも力を入れて欲しい。

「日本ギャラリー」への苦言。コレクションの絶対数が少ないので仕方ないのかもしれないけど、所々に「あれっ?」っていうディスプレイが。クロノロジカルな面だけではなく、その内容も。時代の切り方がおかしい。アメリカの大学院での日本史の授業でも「あれっ?」っていうのがあったけど、それは西洋的な解釈での区切り方と日本のそれとが違っていただけで、間違っていたわけではない。でもこの「日本ギャラリー」には疑問符がいくつか付いた。日本史の専門家が監修しているはずなんだろうけど。かなり心配になった。

もっと細かいことをいえば、能面でも「あれっ?」っていうのがあった。展示されている女面の解説が「若女」となっていたけど、これは「増女」では?

コレクション全般、きちんとした方に監修していただけないのでしょうか?切に願います。それと、政府の肩入れも!