yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

白洲正子さんとお能

以前から関心がないわけではなかったけれど、著書を読むところまでに至っていなかった白洲正子さん。ここしばらく能の舞台を頻繁に見るようになり、いやでも彼女の名に行き当ることが多くなった。随筆が優れているとか有名であるとか聞いてはいても、どこか「有閑マダムの筆の遊び」程度だと、勝手に思い込んでいた。だからなかなか読む気になれなかった。

それを打ち破ったのは梅若六郎玄祥さんの著書、『まことの花』を図書館から借り出し、読んだのがきっかけだった。玄祥さんのお父上とお祖父さまに正子さんは能を習っておられた。『まことの花』で、玄祥さんは親しみを込めて、そして尊敬の念を持って正子さんと梅若家三代との浅からぬ交流を述べておられる。その中にとても印象的な正子語録があった。玄祥さんが進学するかどうか迷っていた時、正子さんのツルの一声で進学を断念したという。それは「大学なんぞに行ってもろくなことは学べない。お能の中にこそ(学ぶべき)すべてがある」(手許に本がないので、正確ではないかもしれないけど)という、正子さんの「主張」だった。言い得て妙だと、思わず膝を打った。大学に長く身を置いていた者としては実に耳が痛い。でも確かに当たっている。正子さんのアドバイスで、六郎さんは進学を諦め、能の道を迷うことなく邁進することになる。そして今の人間国宝、「梅若玄祥」さんになられたわけで、その意味でも正子さんのアドバイスは的確だったことになる。

白洲正子著作集はどの図書館にもあるけれど、借り出すところまでは行っていなかった折、たまたま連れ合いのところで、彼女のエッセイ集、『ほんもの: 白洲次郎のことなど』(新潮社、2014年)を見つけた。読み出したらやめられず、その場で一気に読んでしまった。専門家の陥る独善的、衒学的な陥穽から自由な内容、文体にやられた。すごい奥の深いことを、実にさらっと衒いなく書いておられた。能についての文章もそれに含まれる。白洲正子という人物に興味がわきあがった。

正子は幼少の頃から能の稽古をしていたので、成人するころには、プロはだし。ついていたお師匠さんが玄祥さんのお祖父さまだった。玄祥さんのお父さまは稽古仲間だったらしい。とにかく昔気質で、きちんと説明せずにただ真似ろという玄祥さんのお祖父さまの実さんに対し、きちんと理論で解説するのが六郎さんのお役目だったそうな。

今回図書館から借り出した白洲正子著のエッセイ集には『韋駄天夫人』という、いかにも彼女らしいタイトルが付けられている。その中に、今度は正子側から見た梅若家との関係が語られている。名付けて「梅若父子」。そのまんま。以下はその一部。

この父子の芸がどういう風に違うかは自分で見るより他ないが、たとえて云えば実氏(玄祥さん祖父)の方には「花」があり、六郎氏(玄祥さんお父上)の方は形式美の極致である。(中略)完成したものを破するのは辛いことだが、芸というものは出来上がったものを崩し崩しする所にいっそう生きるものではないかしらん。実氏は一生を通じてそういう事をやった人で、六郎氏の方は上へ上へと積み重ねてきたといえようか。(略)私がこの上、氏に望むのは世阿弥のいった「真の花」であり、父実氏の危うさである。加えるのではなく捨てるのだ。

ここにも正子哲学がしっかりと詰め込まれている。時として周りとの間に摩擦のぎしぎしとなる物音が聞こえるかもしれない。でも完成形を彼女は賞でない。演者と舞台との間にできた隙間。その隙間をきっかけにして、もっと見る側の心の奥の奥まで広がる隙間ができる。「その隙間を常に意識する」っていうのが命題である。玄祥さんの舞台をそう多くは見てはいないけれど、でも彼の行き方が垣間見えた気がした。実際に新しい能の形態、内容にあれほどまでに熱心に取り組まれているのは、やはり正子語録が生きているからかもしれない。