yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

河村晴道師シテの能『実盛』 in 「第五回林定期能」@京都観世会館9月17日

この日は冒頭に河村晴久さんの演目解説があった。踏み込んだ解説で、今まで知らなかったことが多かった。いただいたプリントの解説も役立った。この物語に登場する人物の歴史的な背景がわかり、実盛に対する同情が今までに増して強くなった。

斎藤別当実盛は元は源氏に仕えていたのが、後に平宗盛に仕えたという。だから、木曽義仲が彼の首実検をしたとき、元の仲間であった樋口次郎の「実盛は常々、若者に交じって戦うとき、老人に見られたくないので髪を染めて出陣すると言っていた。髪を洗えば白髪になるだろう」という進言が納得できる。元の仲間ならではの進言。実盛の「美学」がより胸を打つ。以前にも書いたことだけど、「滅びの美学」とでもいうべきもの。実盛が主人を宗盛「に鞍替えしてしまった」というのも、彼の行先をすでに暗示している。宗盛は腹違いの兄、小松殿と呼ばれた聡明な重盛と常に比較され、馬鹿にされていたらしいから。ちなみに私は小松殿のファン。平家物語の当時人物中、最も理知的な人物だと思う。

歌舞伎でも実盛を扱った『源平布引滝〜義賢最期・実盛物語』がある。ここでの実盛は実に温情溢れる人物として描かれている。実盛が仕え先を源氏から平家に移したという歴史的事実を踏まえて、面白おかしく?歴史物歌舞伎に仕立て上げている。私は芭蕉のあの有名な句、「むざんやな甲の下のきりぎりす」が実盛を歌ったものと知るまでは、この歌舞伎作品での実盛像が強かった。この演目で強烈な印象を残すのが、他でもない作品最後の実盛の自らの死の「予見」。彼は太郎吉が将来自分の首をとると言い残したのだ。太郎吉は長じて手塚太郎光盛となり、実際に実盛を討ち取った。『平家物語』でも有名な箇所。

そんなことが能『実盛』を見ているとわさわさと際限なく浮かんできて、それぞれがリンクして行き、心穏やかでなくなってしまう。

能のこの日の舞台、演じられたのが比較的お若い河村晴道さんだったので、全体的に重くなくて、こういう演じ方は若い層を惹きつけるのに大事だと感じた。重くはないのだけれど、軽くもない。「どうだ!」と見せるのではなく、観客の想像力をかきててるようなスキを、わざと作っておられるような気がした。ただ、実盛のキャラクターの抱える屈折のようなものを出すには、まだお若いような気もした。

後場での前半とは打って変わった錦の直垂に黄金の太刀飾りでの登場。そして宗盛と交わした最後の会話を語り出す。それは北国出身の老齢の自分が、この北国で戦うのが最期になるだろうから、せめて晴れがましい姿で出陣したいという要望だった。この場面の「名こそ惜しめ」という実盛の矜持。それが白髪を黒く染めるという行為になった。最後まで名を名乗らなかったところにも、それは表れているわけで、その屈折を演じるにはそれなりの人生経験が要るのかもしれない。

演者一覧は以下。

シテ(篠原の里の老人)河村晴道
後シテ(実盛の霊)  河村晴道
ワキ(遊行上人)   福王和幸
ワキツレ(従僧)   是川正彦
           喜多雅人
アイ(篠原の里男)  善竹隆司

笛    森田保美
小鼓   大倉源次郎
大鼓   谷口正壽
太鼓   井上敬介

後見   河村和貴 河村晴久

地謡   河村紀仁 田茂井廣和 河村浩太郎 河村和晃
     松野浩行 吉浪壽晃 河村和重 林宗一郎

もう一つの歴史的背景を河村晴久さんが紹介されていた。それはこの能のワキ、遊行上人。一遍上人が始めた時宗は別名「遊行宗」ともいって、諸国行脚して布教活動をしていたという。一遍の跡を継いだ僧は遊行上人と呼ばれたらしい。世阿弥がこれをもとにして作った『実盛』、河村晴久さんはここにポリティカルな意味を見ておられた。