yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

能『鵺』 in 「観世青年研究能」@京都観世会館8月5日

能『鵺』を見るのは三度目。一度目は渡辺守章氏と天野文雄氏のプレトークのついた『鵺』(於京都芸術劇場春秋座、2017年1月)で。観世銕之丞さんがシテだった。二度目は「青嵐会」(於河村能舞台2017年5月)で、河村紀仁さんがシテだった。

今回の演者は以下。

シテ舟人/鵺  樹下千慧 
ワキ 旅僧   岡充   
アイ 里人   鈴木実  

笛   左鴻泰弘     
小鼓  林大輝  
大鼓  河村凜太郎  
太鼓  井上敬介

後見  林宗一郎 鷲尾世志子

地謡  河村浩太郎 大江泰正 深野貴彦 吉田篤史
    田茂井廣道 分林道治 吉浪壽晃 浦部幸裕

自分のブログを引用するのは面映いのではあるけれど、一応前回に見たときの記事をリンクしておく。ここに「能.com」から借用させていただいた演目解説、あらすじ等をアップしているので。

前回見たのは河村能舞台の「青嵐会」のもので、上にも書いたように、シテが河村紀仁さんだった。そのとき若い方だと推測したのだが、今回のシテの樹下千慧さんも若手。何しろ「観世青年研究能」なんですからね。前回は演者が若いというのが鵺が持つ脆さを象徴的に示していたのだけど、今回はちょっと留保がついた。動きが速すぎるように感じた。焦っておられた?もっと動きを溜めるようにした方がいいように思った。余韻が残らないから。

所作も軽すぎるように思えた。よくいえば「軽やか」なんだろうけど。でも、鵺が必然的に負っている悲劇性を表すには、やはり重みをつける工夫が要るだろう。これも「溜める」ことと関係しているように思う。能のシテはどれほどこの溜める演技ができるかで、優劣がはっきりと出てくる。ただ、じっと佇んでいるだけで、その存在が負わざるをえない悲劇性を表現しなくてはならない。名人といわれる方たちはこれが素晴らしい。他の演劇のジャンルと、能が決定的に違っている能の特質である。もちろん歌舞伎や文楽にもこの「溜める」というのがあるけれど、能のようにそれが第一義になることはないように思う。武智鉄二のいうところの「息を詰める」というのもこれと関係がある?彼が「武智歌舞伎」の弟子たちに能を習わせたのもそこに理由があったのかもしれない。