yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

「アルチンボルド展」でフーコーを想う@国立西洋美術館7月29日

貴重な機会。NHKeテレの「日曜美術館」で見て以来、ずっと見たかった「アルチンボルド展」。東京外を巡回する予定が今の所なさそうなので、出かけた。

素敵な公式サイトがあるのでリンクしておく。

「奇想の宮廷画家アルチンボルド。謎が謎を呼ぶ、思考のラビリンスへようこそ。」というキャプションを付けたアルチンボルドとその作品の紹介文が以下。

ジュゼッペ・アルチンボルド(1526-1593年)は、16世紀後半にウィーンとプラハハプスブルク家の宮廷で活躍した、イタリア・ミラノ生まれの画家です。
自然科学に深い関心を示したマクシミリアン2世、稀代の芸術愛好家として知られるルドルフ2世という神聖ローマ皇帝たちに寵愛されたアルチンボルドは、歴史上でもひときわ異彩を放つ、宮廷の演出家でした。そんな「アルチンボルド」の名は何よりも、果物や野菜、魚や書物といったモティーフを思いがけないかたちで組み合わせた、寓意的な肖像画の数々によって広く記憶されています。奇想と知、驚異と論理とが分かちがたく交錯するそれらの絵画は、暗号のようにして豊かな絵解きを誘い、20世紀のシュルレアリスム以後のアーティストたちにも、大きな刺激を与えました。

本展は、世界各地の主要美術館が所蔵するアルチンボルドの油彩・素描(帰属作品を含む)計30点を中心に、およそ100点の出品作品により、この画家のイメージ世界の生成の秘密に迫り、同時代の文脈の中に彼の芸術を位置づけ直す試みです。日本で初めて、アルチンボルドのユーモアある知略の芸術を本格的にご紹介するこの機会を、どうかご期待ください。

日曜美術館でも集中的に紹介されていた連作「四季」と連作「四大元素」。<春>と<大気>が、<夏>と<火>が、<秋>と<土>が、<冬>と<水>がペアになっているそう。今回の展覧会がcomprehensiveですごいと思うのは、これらを一堂に会させたこと。バラバラの所有者、収蔵館からここに集めたこと。例えば私が「四季」中で一番気に入った<夏>はデンバー美術館蔵、それに対し、同じように明るい画面の<春>はマドリード、王立サン・フェルナンド美術アカデミー美術館蔵のもの。<秋>もデンバー美術館蔵。<冬>はウィーン美術史美術館蔵。

四大元素では<水>はウィーン美術史美術館蔵。<大気>と<火>は個人蔵。<土>はリヒテンシュタイン侯爵家蔵、そして<水>は再びウィーン美術史美術館蔵。ここまでバラバラなのに、よくぞこの日本に持ってきてくれたと、ちょっと感動。そういえば今回の展覧会作品、ウィーン美術史美術館所蔵のものが結構な数あった。ウィーン美術史美術館にはウィーン大学に研究員として滞在していた同僚を訪ねた際、行ったことがあった。「私でも(忙しくて)行ったことがないのに」って、うらやましがられたっけ。ただ、私の記憶からはこれらの絵は欠落している。多分「猫に小判」だったのだろう。

これらの連作にもまた他の奇想の粋を凝らした作品にも驚かされたけど、絵としてというかアートとして感動したかというと、微妙。「よくぞここまで微に入り細に入り描いたものだ!」という感動はあったけど。 かなり偏執狂だったように感じた。だから奇想なんでしょう。じっと見入れば見入るほど、気味悪さが募る。もっともこの会場の混雑ぶりでは、「見入る」ほどの贅沢は許されませんでしたけどね。前もって予習しておいてよかった。

要するにアートとしてではなく、この奇抜なアイデアに打たれた。心で鑑賞したのではなく、頭で鑑賞したというべきか。こんなアイデア、誰もおもいつかない。だからこそ、その画風を真似るというのではなく、そのアイデア、発想法を真似る、継承するということが後の歴史で起きたのだろう。彼は後の実験を試みた革新的な画家たちの「水先案内人」だったのかもしれない。シュールレアリズムもそうだし、ドイツの表現主義などにも繋がっているのかも。

私が興奮したのは、アルチンボルドの美術作品そのものではなく、そのアイデアの革新性。その革新性が奇想天外、妙ちきりんなものではなく、きちんとした系譜の上のものだと感じたから。あの天井まで描かれた「クンストカマー(Kunstkammer)」の大きなイラスト。部屋天井やら壁の至る所に様々な動植物が組み込まれて入るあのイラスト。写真でなくイラストなので、実際の部屋持っていた奇妙さは減じているはず。アルチンボルドはこの部屋からインスピレーションを得ていたとか。

で、ハッと思い当たったのがミシェル・フーコーThe Order of Things: An Archaeology of the Human Sciences (French: Les mots et les choses: Une archéologie des sciences humaines)。この作品でフーコーはその時代、時代が持っていた知の言説はその時代特有の「知の博物館」のあり方、そこでの分類法によって規定されていると論じている。だから知のパラダイムは時代ごとに変遷するわけ。これをアメリカの大学院の音楽史のクラスで読まされた時、啓示を得た気がした(大げさ)。で、この展覧会をみて興奮冷めやらぬ頭で、連れ合いのところに乗り込んで自説をぶったら、「元の言語(フランス語)で読んだの?」と軽くいなされてしまって、沈没。確かに原語では読んでいないし、日本語でも読んでいない。でも同様に感じた人はきっといたはず(ですよね)。

色々な意味で超刺激的な展覧会だった。わざわざ出かけてよかった。