yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

能『巴』 in 「第34回テアトル・ノウ 東京公演」@宝生能楽堂7月22日

味方玄さん主催の「テアトル・ノウ」。これが初めての参加。今回の東京遠征で最も期待していた番組で、予想を裏切られなかった。それ以上だった。1時間20分の長丁場だったけど、最後まで眠くもならず、退屈もしなかった。途中、ほとんどシテの動きのない時間がかなり長くあるんですけどね。

最近はラップトップを旅行に持って出ないので、見た直後の感激をそのまま認めることができないのが残念。感興は時間の経過と共に薄らいでゆく。でもこの玄さんの『巴』は、あの優美な舞台姿として立ち現れてくる。

見ている最中、「I’ve got it!」っておもわず膝を叩いたのが、巴の両性具有性。武将の霊をシテとする「修羅能」に分類される『巴』。でも実際に登場するシテは女性。しかも女性としての苦しみ、恨みを舞う点では四番目もの(狂女もの)に分類されてもおかしくない。恋慕の思いを募らせる女性、その女性が(男)武将としての「修羅」を舞い上げるわけで、ここに矛盾がある。しかし、この矛盾こそがこの能の他にない魅力になっている。

「銕仙会」の解説を引用させていただく。

木曽義仲終焉の地に現れた、美貌の女武者・巴御前の幽霊。義仲の最期の供を許されなかった彼女は、後ろ髪を引かれつつ、故郷へと落ち延びてゆく…。
死してなお尽きることのない、主君義仲を慕う巴の思い。

以下、この日の演者の方々。

前シテ  里女    味方玄
後シテ  巴御前の霊 味方玄
ワキ   旅の僧   宝生欣哉
ワキツレ 旅の僧   則久英志 植村昌功
アイ   所の者   高野和

小鼓   大倉源次郎
大鼓   亀井忠雄
笛    一噌隆之

後見  味方團 清水寛二

地謡  武田崇史 観世淳夫 鵜沢光 川口晃平
    谷本健吾 河村晴道 片山九郎右衛門 分林道治

再び「銕仙会」の概要を引用させていただく。

木曽出身の僧たち(ワキ・ワキツレ)が粟津ヶ原を訪れると、松蔭に祀られた神の前で涙を流す、一人の女(前シテ)がいた。僧が声をかけると、女は、ここに祀られているのは木曽義仲であると教え、自分はある人物の幽霊であると明かして消え失せる。

僧が弔っていると、先刻の女が鎧兜を身にまとった姿で現れた。女は、義仲に仕えた女武者・巴御前の幽霊(後シテ)であった。巴は、運尽きた義仲が自害するに至った経緯を語り、義仲に最期の供を許されなかった自らの執心を述べ、義仲への最後の奉公として戦った粟津ヶ原での合戦の様子を再現して見せるのだった。

さらに優れた「みどころ」も。

本作では、巴と義仲とはあくまで主従とされ、二人は愛しあう関係としては描かれていません。

愛しあう男女であれば、男が女を「捨てる」時とは、その女を愛すべき女として見られなくなった時、女としての魅力を見いだせなくなった時であるといえましょう。ところが本作では逆に、義仲は巴を女として見るからこそ、最期に臨んで彼女を「捨てた」のであり、そうして最期の供を許されなかった巴は、死後もなお、その事を悔やみ続けています。義仲に女として認識されることを拒み、あくまで最期まで共に戦おうとした巴。夫と妾の関係である以上に、主従の関係として義仲を慕った巴の、死後もなお主君を慕い続ける思いが、本作では描かれています。

巴の対義仲の「在り方」(レゾンデートル)の矛盾。義仲の妾であると同時に家来として仕える「武将」でもあった巴。義仲の最期の選択を首肯することのできない武将としての巴。彼女の中では女というより主君への「従」関係の方が優っていた。それが彼女の死後も彼女を苦しめる。義仲について殉死したかったのに、できなかった苦悩を切々と旅僧に訴える巴。この時、ワキの方を向いてほぼ動かない姿勢。

この後場での巴の衣装は前場とは際立った対照をなしている。女武将の華麗な装束。頭には梨打烏帽子を着け、身には艶やかな唐織を羽織る。下は緋袴。手に長い刀を携えている。

眼前には末期の義仲が。そこに頼朝からの追っ手の軍が迫ってきた。それを迎え撃つ巴。この時のそれまでとは打って変わった機敏な動き。まるで若武者のようであることから、男性でなく女武者であることが推察される。長刀をふりまわして、敵を追い散らした巴の勇姿。武者として「栄えて」いる様にため息が出る箇所。でもやっぱり女なんですよね。玄さんのシテは女である部分が巧まずとも滲み出てくるように演じられた。

そしていよいよ終盤。息絶えた義仲を前にして、烏帽子を取り、唐織を脱ぎ、長刀を捨てる。身に白い衣を羽織る。これは死者を悼んでの装束だろう。笠を持って、木曽へと落ちのびる支度が整う。ここは死者への鎮魂と同時に彼女の決意を示すところでもある。女性としてよりも、義仲の家臣としての巴の自我意識が現れている。しかし、玄さんは女性の片鱗が溢れ、しかもそれが匂い立つような「巴」像を描き出そうとしておられたように感じた。この矛盾を生きざるを得なかった巴が哀しかった。

シテの玄さんと対峙するワキの宝生欣哉さん。先日の観世会館からそう時間を経たずにまた拝見できた。このところほぼ連続して見ている。声がいい。お父上と同様、嫋嫋とした含みのある声。シテが引き立つのも優れたワキがいるから。彼のワキはお父上をより「柔らかく」した感じで、女性のファンがきっと多くおられるに違いない。

地頭を片山九郎右衛門さんが務める地謡も素晴らしい。全編語りが入るので、さぞ大変だったはず。もちろん覚えることもだけど、正座のまま70分を超える間居なくてはならないことも。私から見ると異星人です。

終盤、お囃子もほぼずっと鳴っている。巴の悲しみをより際立たせるかのように。大倉源次郎さんの小鼓はどの曲でも、どんな場でも舞台に品格をそえる。それと美しさも。大鼓の亀井忠夫さん、笛の一噌隆之さんも好きなお囃子方で、こんなにレベルの高いメンバーも「テアトル・ノウ」ならではだろう。耳(聴?)福だった。