yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

復曲能『碁』in「ろうそく能」@大槻能楽堂 7月8日

二部になっていて、前半が壇ふみさんによる『源氏物語』中の「空蝉」の巻の朗読。これは原文と現代語訳合わせて朗読された。現代語訳は、瀬戸内寂聴林望橋本治、そして田辺聖子各氏のもの、そして最後にご自分の訳を使われた。というのも、この復曲能『碁』は「空蝉」が下敷きになっているから。普通の能楽全集に収録されていないのは、これが復曲能だからだろう。大槻文蔵さんはこういう復曲にも意欲的に取り組んでおられる。

源氏を読んだとき、この碁のシーンをさほど重要とは思わなかった。でも、空蝉の「生の」姿を源氏が垣間見た重要な場面だったことを、改めて知った。確かに空蝉と義理の娘の軒端の荻とが暑いから衣を緩めに纏ったしどけない姿で碁を打つ場面は絵になる。しかもそれを源氏が物陰からこっそり見ているなんて図は、いかにも窃視的でエロティック。これに目をつけ能にしてしまうなんて、作者の左阿弥が極めてモダンな劇的感覚を持ちあわせてたことの証左。ただ、能の形になると、いかがわしさはかなり減じてはいる。というのも、二人が碁を打つのは現世でではなく、彼岸でだから。舞台で繰り広げられる場面は、あくまでも現世のそれの復元にしか過ぎない。ここにもまるでサイコアナリシスを先取りしているとしか思えない斬新さがある。

源氏を挟んで三角関係に陥ってしまった空蝉と軒端の荻。それぞれの源氏への想いと恨み。それが『源氏』の中ではいともあっさりと言及されずに終わっていることが、二人の当事者の女にとっては実は最も辛いこと。宙ぶらりんの関係がそのままに放置されてしまっている。当事者である二人がそれに関わるすべはもはやない。自分たちの存在を刻印したい!その想いで、二人の女は霊魂となって現れた。共同戦線を張って。でもやはりそこには嫉妬、対抗意識といったものが渦巻いている。そのサマを二人の連れ舞いが表現していた。

大槻能楽堂のサイトより「あらすじ」と「みどころ」を。この曲は、この能楽堂の主で人間国宝の大槻文蔵氏による復曲だという。

■あらすじ
常陸国より都へ上る僧(ワキ)が三条京極に着き、この辺りは父親が源氏物語の話をしていた中川の宿の跡であろうと感慨深く古歌を口ずさんでいると、尼(シテ)が現れ、お宿を貸そうと言う。そして源氏の方違いの話から、中川の宿、夕顔の宿の話など語るが、今宵の慰みに碁を打って見せようと言う。相手はと問う僧に軒端の荻と決まっていると言い残し、涙を流し消え失せる。僧の夢に空蝉、軒端の荻が在りし日の姿で現れた。源氏へ昔の思い出も恨みも残っているが、今は懺悔に碁を打って見せましょうと言い、碁の話を語る。源氏の巻の名を言い合いながら碁を打ち始め、空蝉は負ける。空蝉は乱れ心となり、昔、源氏が忍んで来た折、上着を残して逃げ去った事、その苦恨と恋慕が募るが、源氏も軒端の荻も恋しく悲しい深い想いに堕ちたけれど、お僧の回向と碁を打った功徳で成仏した喜びを述べ消え失せる。
■みどころ
この曲は空蝉によって、光源氏の空蝉に対する恋慕と苦悩が描かれている。この苦悩は、能には多く取り上げられているテーマであるが、その苦悩の昇華が、本曲では一曲の見せ場となっている仏教的な意味づけをされた碁の対局の場面となっている。
曲名から想像されるには縁遠い作品であるが、この碁を打つというのが大変な特徴である為この曲名がついたと思われる。室町時代、金春元氏による初演が(1460頃)「禅鳳雑談」に記されている以外は江戸時代、鳥取落にての所演があるものの、久しく廃曲となっていた。明治20年に金剛謹之助 昭和37年に金剛巌 平成13年に梅若六郎、大槻文藏にて復曲上演された曲である。その後観世清和の所演がある。

蝋燭が主たる灯源なので、当然暗い。その中で演じられる舞台。とくにシテの片山九郎右衛門さんとツレの味方玄さんはさぞやりにくかったに違いない。でもその困難を微塵も見せない完璧な舞台だった。

あまりにも動きが少ないので、途中ちょっとダレた感じがしたけれど、それも後半の二人の舞を際立たせる工夫なのかもしれない。じっとしている状態、それと動きのある舞、この動・静の対比が立っていた。動のときの切れのある動き、静のときの裡にこもった強い念、この二つがくっきりと対比できるのは、やはり演者がこのお二人だからだろう。暗がりの中でも、否、暗がりだからこそ余計に、この動・静の対比が胸に迫った。

シテ(空蝉)が橋掛りまで行って、「よょっ」という風情で泣き崩れるところ、面を付けた九郎右衛門さんが実際に涙を流しておられるのが見えた気がした。面を透かして顔が見えた。この嘆き、それは源氏が結局は彼女を諦めてしまったことへの複雑な想い、恨みと愛惜とのないまぜになった感情の吐露だったような気がする。自分から源氏を拒否しておいて、今更なに?っていうのは女心を知らないから。こういうのを書いてしまう紫式部という人は、恐ろしい人。それを能にアダプトするというのは実に恐れを知らない冒険。でもやったんですよね。

今回の「ろうそく能」が成功したのは、やはりシテとツレがこのお二人だったから。彼らが京都にいてくださり本当によかった!つくづくよかった!

以下、当日の演者一覧。

シテ   片山九郎右衛門
シテツレ 味方玄 
ワキ   宝生欣哉 
アイ   善竹隆平
   
笛   杉市和 
小鼓  成田達志 
大鼓  白坂保行

後見  上野雄三、赤松禎友

地謡  大槻裕一、梅田嘉宏、斎藤信輔、竹富康之
    寺澤幸祐、上田拓司、大槻文蔵、浦田保親

朗読が終わり、そのあと休憩。それから蝋燭の点火式があった。大槻裕一さん、梅田嘉宏さん(?)が点灯された。以下に休憩時に撮った能楽堂内部。