yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『国栖(くず)』in「あじさい能」(能楽協会神戸支部自主公演第30回記念)@湊川神社 6月24日

以下がこの演目の人物とこの日の演者一覧。

前シテ・・漁翁     吉井基晴
後シテ・・蔵王権現   吉井基晴  
前ツレ・・老嫗     上田大介
後ツレ・・天女     森田綾子
子方・・清見原天皇   吉井晟朝
ワキ・・侍臣      江崎正左衛門
ワキツレ・・輿舁    是川正彦、松本義昭
アイ・・追手の者    善竹忠重、牟田素之

後見  藤谷音彌、田中章文、佐伯紀久子
地謡  上田顕崇、上田宜照、池内頼子、藤井丈雄、
    森壽子、下川宜長、上田貴弘、笠田昭雄

大鼓  大村滋二
小鼓  高橋奈王子
笛   八木原周平
太鼓  梶谷義男

「名古屋春栄会」のサイトよりあらすじを拝借する。ただし、加筆、補筆させていただいた。

大友皇子との争いごとの後、都を追われた清見原天皇(大海人皇子)。供の者に守られて吉野の山中、国栖まで逃げてくる。その一行のところに、川舟に乗った老人夫婦がやってくる。二人は我が家の方向に星が輝き、紫雲がたなびいているのを見て、高貴な人のおいでになることを知ったのだという。天皇の侍臣は、この高貴な人こそ清見原天皇であると明かす。

何か召上がり物を差し上げてくれと頼まれた夫婦、根芹と国栖魚(鮎)を献上する。供御の残りを賜わった老翁は、吉凶を占うべく、国栖魚を川に放つ。すると、不思議にも国栖魚が生き返った。天皇は自身が都へ帰るという吉兆だと喜ぶ。

そこへ追手が迫る。夫婦は岸に干してある舟の下へ天皇を隠し、敵をあざむいて追い返す。天皇は老人夫婦の忠節に感謝し、自身の身の上の拙さを嘆く。夫婦も涙にむせぶ。やがて、夜もふけ(あたりは)静まり、夫婦は何とかして御心を慰めようと思う。そのうちに、妙なる音楽が聞こえ、老人夫婦の姿は消え失せます。かわりに天女が現れ、舞を舞う。そうこうするうちに、で蔵王権現も出現する。権現は激しく虚空を飛びめぐって、天皇を守護することを約束し、将来の御代を祝福する。

かの壬申の乱の元になった大海人皇子と大友皇子との争いが下敷きになった能作品。ここでは天皇が大海人皇子ということになっているけれど、大友皇子がその時の天皇だったはず。大海人皇子は反乱軍側だった。大海人の兄の天智天皇が皇太子だった大海人を差し置いて、自身の息子の大友を強引に天皇の座に就けたことを不満に思っていたので、天智亡き後反旗を翻した。少なくとも歴史ではそうなっている。ともあれ、この甥との戦いで、大海人は勝利、のちの天武天皇となる。ただ、天智天皇の生存中、彼が吉野にいたのは事実らしい。その折に天智から追っ手がかかったということなのだろうか。この能では勝利者である大海人皇子サイドについたリーズニングがなされているようで、ちょっと厭だった。勝利者による史観が「正史」(正統)となることを、思い知らされる作品だから。

気を取り直して、この作品の構造に焦点を合わせる。ドラマとしては能とは思えないほど、ドラマティックである。サスペンスが盛り込まれ、観客を劇中に巻き込む工夫もされている。あの『安宅』(歌舞伎では『勧進帳』)を彷彿させるストーリー展開になっている。作者は不詳だけれど、世阿弥ではなさそう。信光かそれ以降の人?

弁慶の勧進帳の読み上げにあたる部分が追っ手(アイ)と老人との掛け合い。歌舞伎では冨樫は義経と知った上で一行を逃したと解釈することが多いけど、この作品では老人の機転でその場を逃れたことになっている。この辺りの比較をしてみても面白いと思った。

細部のドラマティック度を上げる工夫も、普通の能よりもはるかに手がこんでいる。先ほどの追っ手から逃れたというエピソードに出てくる舟の使い方、吉野山中でのちの天武が老人夫婦にあった話、天女の舞等々、出典があるのが「銕仙会」の解説に出ている。以下。

『宇治拾遺物語』には都を追われた大海人皇子が食べた栗を使って占いをしたり、能〈国栖〉と同じく皇子が逆さにした舟の下に隠れて、難を逃れたりする話が見えます。ほかにも『源平盛衰記』には、吉野に下った皇子の前に天女が現れ、舞を舞ったとか、鈴鹿山で道に迷った皇子が老人夫婦と出会うといった話も記されています。これらの伝承と同じような話を〈国栖〉は素材にしているということができます。

この日のシテは吉井基晴さん。以前に拝見してうまさに唸った方。その時、ご子息の晟朝君の子供らしからぬうまさにも唸った。このお二人が重要な役なので、それだけでも見る価値あり。

基晴さんは前シテの漁翁のとき、鮎を掬い取って、それを天皇に供する所作が美しかった。なんでもハイライト部なんだとか。魅入ってしまった。後シテでは打って変わっての豪快な権現。大胆に回り、大きく跳びはねる。この過激な舞がすばらしかった。あたりがその舞の動きで一瞬にして制止させられるほどの迫力だった。

あと、天女の森田綾子さんの舞が可憐でよかった。この二人の動と静の組み合わせで魅せる舞台に、仕上がっているように感じた。