yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

金剛流能『加茂』in 第68回 京都薪能@平安神宮6月1日

2日間に渡って開催された「京都薪能」、チラシを以下に。



この日の番組内容は以下。

★金剛流能「加茂」
★観世流能「田村 替装束」
★大蔵流狂言「鞍馬参り」
★観世流能「舎利」

翌日東京行きが控えていたので、最後の「舎利」は後ろ髪を引かれつつ、見ないで帰った。残念!まず、金剛流能『加茂』の演者一覧。

シテ 種田道一 
ツレ 山田伊純 
ワキ 久馬治彦 
ワキツレ 小林努 有松遼一

大鼓 石井保彦
小鼓 吉阪一郎
笛 杉信太朗   
太鼓 前川光長

この日は後段からだった。あと、観世流が2番続くので、いささか不公平な気がした。最も毎年開催されているので、交代ということになっているのかも。今年の正月の八坂神社の奉納能、『翁』は金剛だったから。演目概要は簡潔な「銕仙会」のものをお借りする。

播磨国 室明神の神職たち(ワキ・ワキツレ)が京都の賀茂社へ参詣すると、御手洗川の川辺に真新しい祭壇が築かれ、白羽の矢が祀られていた。そこへ現れた二人の女(前シテ・前ツレ)に謂われを尋ねると、女はその矢こそ賀茂の神の姿であると答え、むかし川を流れてきた矢が水汲みの女の桶に留まり女は懐妊したこと、その矢の正体は別雷神であったこと、後には女やその子も祀られて現在の賀茂社となったことなどを語る。やがて、神前に供える水を汲み終えた女は、実は自分こそ神の化身であると明かして消え失せる。

夜、一行の前に、別雷神の子を懐妊した水汲みの女・御祖明神(後ツレ)が現れ、治まる御代を祝福して舞を舞う。するとそこへ、今度は別雷神(後シテ)が現れ、雷雨をもたらして豊饒の秋を予祝し、国土を祝福するのであった。

京都糺ノ森に位置する下鴨神社、それと川の上流の上賀茂神社とは、合わせて「賀茂の社」と呼ばれ、京の鬼門を守る社となっていることを改めて確認する能となっている。平安神宮を舞台にして、さらに古い、由緒ある神社、上賀茂、下鴨神社双方を寿ぐ能ともいえるだろう。この辺りのことをナビ狂言の茂山茂さんと鈴木実さんが軽妙に「紹介」してくれた。茂山家の狂言はまさに京都そのもの。奥が深いのに軽妙。このさじ加減が絶妙!京都を拠点にする茂山家の狂言と金剛流の能とが、いともしっくりと同居している場がまさにここにあるって思って見ていた。

金剛の能は正月の「翁」を除くと初めて。「舞金剛」の意味がよくわかった。まず、「天女の舞」のシテツレの山田伊純さんの舞が麗しかった。麗しい中にもどこかピリッとしていた。それが金剛なのかも。そして遂に登場した後シテ、種田道一さんの上賀茂神社の祭神・別雷神。豪快な中にも優美。荒々しいというより、どこかのどかな感じがいかにも古都の神さま。金剛の能の特徴の一端が少しは見えた気がした。早とちりかもしれないけど。何れにしても今月、それを確認できる機会,「日本伝統音楽研究センター 第48回公開講座 インターメディアとしての能:金剛流の能『半蔀』『小鍛冶』公開収録」があるので、楽しみ。骨太な感じを確かめてきたい。これは今受講している京都芸大の講座の一環。能の「お囃子」の存在意義を知りたいと思って受けているのだけど、毎回目を開かせられる。