yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

英国ロイヤルオペラハウス・シネマビューイング オペラ『蝶々夫人』MADAME BUTTERFLY@TOHOシネマズ西宮

日本語の公式サイトには歌手一覧で抜けているところが多々あったので、英語サイト情報を代わりにアップ。シネマ版は今年3月30日に録画したもの。

Conductor  Antonio Pappano  
Cio-Cio-San  Ermonela Jaho  
Lieutenant B.F. Pinkerton  Marcelo Puente  
Sharpless  Scott Hendricks 
Goro  Carlo Bosi
Suzuki  Elizabeth DeShong  
Bonze  Jeremy White
Kate Pinkerton  Emily Edmonds
Imperial Commissioner  Gyula Nagy
Prince Yamadori  Yuriy Yurchuk
Chorus  Royal Opera Chorus
Concert Master  Sergey Levitin
Orchestra  Orchestra of the Royal Opera House

アントニオ・パッパーノ指揮で贈る、プッチーニの代表作の一つ『蝶々夫人』。
「ある晴れた日に」の歌で知られる、日本を舞台にしたあまりにも有名な悲劇のオペラ。

舞台は日本の長崎。アメリカ人士官ピンカートンと結婚した蝶々は、任務を終え帰国した彼の帰りを、幼い息子とともに待ち続けていた。しかし、夫はアメリカ人の妻を連れて戻ってくる——。

『蝶々夫人』は、夫に裏切られながらも一途に愛を貫く日本人女性、蝶々の悲劇的な愛をプッチーニの魅惑的な音楽で描いたオペラ。ロイヤル・オペラの音楽監督アントニオ・パッパーノが、明るく興奮に満ちた少女から、愛によって自己を犠牲にする女性へと変化する蝶々のドラマチックな心の旅を指揮する。

『蝶々夫人』、2014年5月にメトロポリタン歌劇場で見ている。記事にもしている。この時は中国系歌手が蝶々夫人を歌った。ちょっとぽっちゃり目で小柄な女性だった。透き通るような声で歌うアリアが胸を打った。

今回はアルバニア出身の女性歌手、エルモネラ・ヤオ。華奢な体つきが16歳の蝶々さんにふさわしい。またよく通る涼やかなコロラトゥーラ。感情が高ぶるさまをごく自然に声に乗せることができる。いささかの無理も感じさせないのがすごい。表現力でいえばソプラノ歌手随一かも。ネトレプコも表現力が素晴らしいけど、彼女には可憐さを出さなくてはならない蝶々さんのような役は難しいだろう。特に最近のビジュアルでは。可憐さの中に強靭さがあるという、多分外国人が日本女性を思い浮かべる時に描く像があるのだけど、それにはネトレプコはあまりにも「立派」すぎる。ヤオはその点、ハマりすぎているくらいぴったり。本人も役にのめり込んでいて、カーテンコールでは最初観客の声援にうまく対処できない感じだったほど。この様子を見て、ヤオファンになった人も多くいたに違いない。ROHの観客もそうだったようで、スタンディングオベーション。ものすごい拍手だった。

プッチーニの曲も素晴らしい。特に日本の音楽、例えば「越天楽」などをうまく採り入れているところ。叙情的で、それでいてパッショネイトで、かつ機知に富んでいる。いかにもイタリアオペラ!っていう音楽。指揮者のアントニオ・パッパーノはイタリア系英国人。彼とヤオとの練習風景に彼の音楽の特性がよく表れていた。ヤオとの相性も良かった。

憎まれ者、ピンカートン役のマルセロ・プエンテはヤオと十分張り合える美声。アルゼンチン出身らしい。シャープレス領事役のスコット・ヘンドリックス、ゴロー役のカルロ・ボッシ等男性陣の粒が揃っていた。こちらが気を回しすぎなのかもしれないけど、ボッシさんはじめ下僕役の男性たち、あの歌舞伎もどきの変な化粧(?)にいささか気恥ずかしそうではあった。

外せないのはスズキ(こちらも変な名)役のエリザベス・デション。METで見たときかなり違和感があったのは、このスズキ役の歌手の着物とその着付けがおかしかったから。今回も多少変ではあるけれど、それなりに見られた。デション嬢、歌唱力が図抜けていた。ヤオと同じく、細めの声なのだけど、とてもよく通るし力強い。化粧もあまり違和感はなかった。

全般に化粧と衣装が変なのはMETの時と同じだけど、こちらには工夫が見られた。とはいえ、蝶々さんのあの鬘、あれは江戸時代のものじゃないでしょ?まだスズキの方が見るに耐えるレベル。こういうことにどうしても注意がいってしまうので、『蝶々夫人』は日本人観客の観賞用ではないのかもしれない。苦しいところ。