yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

のっぽの能楽師、大江信行さんシテ『頼政』in「大江定期能」@大江能楽堂5月7日

シテの大江信行さん、190センチ?ホントにのっぽ。この存在感で悲劇の武将、頼政を舞われると、頼政が英雄として文句なしに立ち上がってきた。どんな演目でも最初にみた演者のものが規準になることが多いけど、私の中では頼政という人物には、背が抜きん出て高い人のイメージが刻印された。能のシテ方は私が今まで見てきた限りではそれほど背の高くなく、どちらかというと小柄に属する方が多かった。その中で、大江信行さんを始め大江家の方々はダントツに背が高い。

演者一覧と「銕仙会」の「能楽事典」から引用させていただいた概要を以下に。

シテ  大江信行
ワキ  宝生欣哉
アイ  網谷正美

大鼓  谷口正壽
小鼓  吉阪一郎
笛   森田保美

地謡 浦田親良 大江泰正 梅田壽宏 宮本茂樹 
   深野貴彦 浦田保親 片山九郎右衛門 味方玄

概要
旅の僧(ワキ)が宇治の里に通りかかると、一人の老人(前シテ)が現れる。僧は老人に案内を請い、二人は里の名所を見てまわる。最後に老人は僧を平等院に案内すると、源平合戦の古蹟を見せ、今日がその合戦の日に当たるのだと教える。老人は、合戦で自刃した源頼政の回向を僧に頼み、姿を消してしまう。実はこの老人こそ、頼政の幽霊であった。

僧が供養していると、頼政の幽霊(後シテ)が往時の姿で現れ、僧の弔いに感謝する。頼政は、合戦へと至った経緯を語り、宇治川の合戦の緊迫した戦場の様子を再現して見せる。やがて、自らの最期までを語り終えた頼政は、供養を願いつつ消えてゆくのだった。

珍しくあらかじめ「予習」をしておいた今日の能。頼政が去年見た『鵺』の中で、鵺退治の本人として言及されていたと知り、私の能観劇が見えない糸で繋がっているんだと、改めて思う。

解説によると、頼政は「埋れ木」としての生涯を生きたという。彼は武人でありながら歌人でもあった。それが常に彼の中に矛盾を引き起こし、結果、埋れ木にならざるを得なかったのではと推察できる。平家討伐の以仁王に従ったという点からは、彼の武人としての気骨が窺える。しかし彼は優れた歌を遺した歌人でもあった。この矛盾。この矛盾を生きざるを得なかった彼の苦しみ。この能の眼目はそういう彼の矛盾に満ちた生涯を俯瞰、それを第三者的眼で「評価する」ところにあったのだろう。目覚ましい英雄ではなく、かといって完全に埋れ木になってしまう人ではなく、その間を揺れ動く武士としての頼政像。

シテの舞では勇猛果敢な武士像が表現される。同時に地謡がうたいあげるのは、「武士」からはみ出した部分。弱さというか、抒情的なところ。この二つのせめぎあいの中に頼政が立ち現れる。大きな大江信行さんが演じる頼政が、その大きさゆえに強いリアリティでもって迫ってくる。彼が嘆くと、その嘆きがひしひしとこちらに伝わってくる。

僧侶によって頼政の迷いでた魂は慰められ、やがて穏やかに去ってゆくのだけど、それを見るとホッとする。もう彼は苦しまなくていいのだと。

調伏する僧の宝生欣哉さんは宝生閑さんのご長男。さすが下掛宝生。嫋嫋とした語りはお父上譲り。ゆったりと、情緒たっぷりに聞かせる。彼は年齢よりも若く見える。可愛い。それはこの日地頭をやっておられた片山九郎右衛門さんと同様。可愛いというのは失礼かもしれないけど、あくまでも褒め言葉なんです。

そしてこの時の囃子方!実力派揃い。私は大倉源次郎さんのお弟子さんの吉阪一郎さんに特別に思い入れがあるのだけど、笛の森田保美もいつもながら素晴らしい。あの高い音、ゾクゾクします。また大鼓の谷口正壽さんはその大柄な体軀を活かした迫力ある演奏だった。この三人のお囃子は耳の悦楽だった。

大江能楽堂へは2月に来ている。昔ながらの能楽堂で居心地がいい。この日も二階まで埋まる満席。開演は午後1時だったのだけど、その前に寄るところがあり、結局ちょっと遅刻で脇席に座った。それでも見やすかったし、舞台を堪能できた。

大江能楽堂の舞台

公演後の様子(手前から奥にかけて)