yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

奉祝南大門竣工第十六回「初桜能」@京都祇園八坂神社4月4日

最初の「仕舞 通小町」は遅刻で見れず。阪急の四条河原町駅から歩いたのだけど、途中の通りが観光客でいっぱい。普段は10分弱で到着するのが大幅に遅れた。

半能、「草子洗小町」から。番組は予告がなかったので、下調べできず。しかも、プログラムを観能前にもらっていなかったので終演後に初めて知った迂闊さ。演者さんたちはほとんどが以前に見た方。これは助かった。ただ、シテの分林道治師は初めて。面をつけておられるので、最後まで「一体どなた?」と今までに見た方の姿を重ねていた。結局、初めての能楽師だったのですけどね。

番組は観劇後にいただいたチラシの裏にあった。デジカメで撮った写真を掲載しておく。お見苦しいのは、何卒ご容赦。裏と一緒に表もアップしておく。



アップしたチラシの裏の写真は見難いので、以下にWikiからお借りしたあらすじ(ストーリー)を載せておく。

大伴黒主(ワキ)は、歌合で小野小町(シテ)を相手にすることとなった。しかしとても勝ち目がないと考えた黒主は、歌合の前日、小町の邸に忍び込み、小町が明日のために詠んだ歌を盗み聞きする。
歌合当日、紀貫之(ツレ)を初め歌人たちが居並ぶ中で小町の歌が詠み上げられるが、黒主は「その歌は既存の古歌である」と難ずる。証拠として黒主が取り出した『万葉集』の草子には、確かにその歌が書き込まれていた。前日小町の歌を盗み聞いた黒主が、予め書き足しておいたのである。
窮地に立たされる小町だが、黒主の入れ筆と見破り、許しを得て水を以ってその草子を洗う。するとたちまち黒主の書き足した歌は消え失せ、彼の悪事が明らかとなる。全てが露見した黒主は自害しようとするが、小町はそれをとりなして、祝言の舞を舞う。

舞台上の登場人物の多さに驚いた。以下、Wikiからの「登場人物」一覧。右が演者、ただし判明した方のみ。半能だったので、後半だけ。

• シテ:小野小町  分林道治
• 子方:天皇  分林桜子
• ツレ:紀貫之   味方圓  
• 立衆:朝臣 
• 立衆:官女
• 前ワキ:大伴黒主
• アイ:黒主の従者

地謡では味方玄さん、片山九郎右衛門さんのみわかった。囃子方では小鼓の吉阪一郎さんを以前に拝見している。「能 ホテルカンラで和時間」のワークショップの折、大倉源次郎さんのアシスタントをしておられたような。

「あらすじ」にあるように、能らしくない内容。まるで現代劇のよう。西洋演劇のドラマツルギーに近い。こんな風にオチがつく能を初めてみた。世阿弥が作者でないのは、すぐわかった。Wikiでは「教養はないが劇作術にたけた」作者を推測している。「教養がない」という評価に驚いた。完全な創作にせよ、和歌の巧者たちの歌を読み込み、見せ場もある。構成的にも起伏に富んでいる。この部分が「あざとい=教養がない」とみなされたのかも。

さらに、Wikiに載っていたこの作品への評価、「草紙洗いの場面は詞章・節付ともに流麗であり、特筆に価する」には同意。「流麗」といえば、この作品に登場するのは、その流麗な歌で名を馳せていた頃の歌人、小町。普通、能の「小町もの」に登場する小町が、かっての栄光をしのぶよすがもないほどの老醜を晒しているのとは好対照。その点でも珍しい作品だとのこと。

ハイライトはチラシの表にもなっているように、小町の草紙洗いの場面。小町の能面が憂いを帯びた生々しい面に変貌するのをみて、驚嘆した。扇で手に持った草紙に水を注ぐのだけど、少し傾げた能面のしらじらとしているのが、妙に艶かしかった。「予習」していいなかったので、これがどういう経緯での行為なのかよくわからないままに、強烈な印象残す場面だった。

シテの小町は分林道治氏。上背があり、動きもスッキリ。面が被さってていない顔部分、衣装から出ている首、そして扇をもつ手から、40代から50代の方と推察された。若手に当たられるんだと思う。

悪役の黒主を演じた原大さんはすでに2回見ている。声の通りもよく、動きも機敏。この方も40代?貫之役の味方圓さんも40代。先日の「味方圓の会」では元気の良い弁慶を演じられたけど、今回はシテツレで控えめ。それでもやっぱり存在感がある。地謡にお兄様の玄さんが控えておられたので、兄弟共演。

帝役の子方は分林道治氏のお嬢さん?ハキハキとした台詞回し。引っ込みで初めて女の子とわかった。

ツレの二人は面をつけておられたので、どなたかわからず、残念。ずっと同じ姿勢で座っているのはさぞ足に来るだろうと、同情した。そういえば、小町以外の人物はほぼ全編座った姿勢なので、きっと大変。暖かかったのがせめてもの救い。「奉納」能は、かなりの苦行を演者に強いるものなのだろう?

囃子方。杉信太朗さんの笛が良かった。屋外だからか、小鼓と大鼓の響きが今一つだった。

最後に田茂井廣道氏が「祝言」の指導をされ、見物客一同で「合唱」した。なんと英語のチラシも配布されていたようで、外国人参加者も一緒に唱和。楽しい体験だった。