yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

[シネマ・バレエ『くるみ割り人形』キエフ国立シェフチェンコ劇場バレエ団@昭和女子大人見記念講堂、1988年採録] 3月17日於宝塚図書館3月17日於宝塚図書館

レーザーディスク版の古いもの。宝塚図書館の「映画会」で見た。30年も前のものとは想像していなかったので、驚いた。普通ではなかなか見れないシネマ版、貴重な体験だった。

「キエフバレエ」はのちに「マリインスキーバレエ」になったバレエ団。当時のトップダンサーが打ち揃って来日したのだろう。ただ、ダンサーを個別にネット検索をかけても、ヒットがなかなかない。古い情報が限られているためだと思う。会場とネットで拾った配役情報は以下。非常に限定的。

クララ:リュドミーラ・スモルガチョーワ
王子:ヴィクトル・ヤレメンコ
ドロッセルマイヤー:セルゲイ・ルキン

リュドミーラ・スモルガチョーワは、当時のロシアバレエ界の華だったダンサー。何しろ、バレエの古典のほとんどで主役を張っているから。この時はおそらく30代後半から40代?そつのない優雅な踊り。感情表現も豊か。難をいうなら、少女には見えないところ。大人になることへの期待、それとは裏腹の不安。それを少女の「特性」とするなら、その感じは出ていない。大人が少女を演じている感じ。もっとも、その通りなんですけどね。当時はそういう工夫は必要なかったのかも。少女が見る妄想というかファンタジーの世界。それは彼女の期待と不安の反映。作品自体が少女の現実と幻想の二重構造の上に成立している。少女が大人になる過程で、必然的に通り抜けてゆく世界。それをどこまでダンサーが表現できるかが重要なんだと思う。この作品の摩訶不思議さは、人の深層心理に踏み込んでいるからだろう。

「金平糖の精の踊り」、「ロシアの踊り」、「スペインの踊り」、「アラビアの踊り」、「中国の踊り」、「葦笛の踊り」はその少女の深層心理を表象している訳で、ウキウキ感があると同時に、得体の知らないものに「出くわした」という不安も表しているように思う。優れたおとぎ話がそうであるように。となるとクララはそういう二重性を醸し出せる踊り手が踊るべき?踊り手の肉体年齢が、技術よりも顕著に前面に出てくるような気がする。私の独断を赦していただけるなら、多少技術的には「劣って」いても、初々しい、何よりも若い踊り手の方が、「クララ」を演できるような気がする。こういうのって、「ないものねだり」なんですよね。

王子役のヴィクトル・ヤレメンコはおそらく20代初め。彼の技術度の高さは明らかで、ベテランのスモルガチョーワに対峙していた。でも、あくまでも黒衣に徹しようとしたのだろう、顔は終始無表情だった。「出しゃばらない」をここまで徹底させるのは、見事。この後、ウクライナバレエの芸術監督になったようである。

私がすごいと思ったのが、アルルカン役のアレクセイ・ラトマンスキー(Alexei Ratmansky)。飄々とした感じ。でも技術度の桁外れに高いことは明白。コロンビーヌ役とのコミカルな「掛け合い」がツボだった。こちらは身体とその能力を最大限前に出していた。王子役のヤレメンコとは好対照。おそらくこの二人が、当時のキエフバレエの男性ダンサーの双璧をなしていたのだろう。ネット検索で以下の情報が。

1986年キエフ・バレエ団(現・マリインスキー劇場バレエ団)に入団し、ソリストとして活躍。’92年ペルミ国際バレエコンクールで金賞受賞。’93年ロイヤル・ウィニペグ・バレエ団を経て、’97年デンマーク・ロイヤル・バレエ団にソリストとして移籍、2000年よりプリンシパルとなる。2004年1月〜2008年ボリショイ・バレエ団芸術監督。2009年1月よりアメリカン・バレエ・シアター(ABT)アーティスト・イン・レジデンスに。

もう一人気になったのが「スペインの踊り」を踊った男性ダンサー。でも名前がわからない。相手役の女性ダンサーもよかった。

この作品を観ながら、精神分析学的解釈をしてしまう自分に気づいた。バレエの演目にはそれを赦す作品が多いように思う。この作品はさっきも書いたように、少女が大人にイニシエイトする過程にハマる幻想の世界を描いている点でもそうだけど、ネズミの群れなどは、彼女を待つ「大人」界の薄気味の悪さと彼女が抱く底知れない不安を描いているように思う。「バレエという手段でそれを舞台化してみせる」というのが、ただただ、すごい!

そういえば2012年にも「キエフバレエ」を見ていた。このブログの記事にしている。その折にも『くるみ割り人形』の一部が抜粋されていた。ただ配役がこのシネマ版のものとは全く違っていた。それも当然、24年も経っているんですからね。その時に持った印象は「ちょっと地味」だったのだけど、そういう傾向が伝統的にあるのかも。