yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

見事だった「連獅子」の間狂言 in 花形歌舞伎@松竹座2月14日夜の部

前の記事に書いたように、右近の子獅子が素晴らしかったのだけど、もう一つ、絶対に見逃せないものがあった。それは前場後場の間にある間狂言澤村國矢坂東玉雪とが務めた。間狂言については「歌舞伎演目案内」の「連獅子」の項が参考になる。以下。引用させていただく。ありがとうございます。

妙法蓮華経 VS 南無阿弥陀仏 
獅子の親子が引っ込むと、間狂言になる。場面は清涼山の麓あたり。法華宗と浄土宗の僧が道連れになり、清涼山を登りはじめる。最初は和やかに話をしていたのが、お互いの宗旨を知ると、宗旨の優劣争いに発展。法華経の功徳の素晴らしさ、念仏の御利益のありがたさをそれぞれが身振り手振りで語る。続いて法華宗の僧が団扇太鼓を叩いてお題目「南無妙法蓮華経」を、浄土宗の僧が叩き鉦(かね)を打って念仏「南無阿弥陀仏」を繰り返し唱えるうちに…。いつの間にか、題目と念仏を取り違えるという結果に。折から吹きつける暴風に二人は慌てて逃げていく。

もう本当に「狂言」なんです。おみごとです。間のとり方が絶妙。身体の動きの軽快さも、台詞回しの軽妙さも、全てそのまま狂言。そういえば、「連獅子」自体が松羽目物で、能の歌舞伎化を図ったもの。能も間に狂言を入れることが多いけど、息抜きになる。コミックリリーフの工夫の一つだろう。獅子の舞の激しさ。それを息を詰めてみる緊迫感。舞台にそして客席に張り詰めたインテンシブな気を抜く役割を果たしている。

澤村國矢坂東玉雪の日頃の仕舞と謡の稽古の積み重ねと実績が窺える出来栄え。花形歌舞伎により花を添えていた。そして格をダントツに高めていた。こういう方たちの芸が主要役者を支えているのだと、改めて思い至った。