yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

中車と愛之助の『らくだ』in 「十二月大歌舞伎」@歌舞伎座 12月5日第二部

かなり失望。演出の問題だと思う。「歌舞伎美人」サイトから配役とみどころを。

初代桂文枝 口述
堀川 哲 脚本
奈河彰輔 改訂・演出
今井豊茂 演出

<配役>
紙屑屋久六     中車
やたけたの熊五郎  愛之助
家主幸兵衛     橘太郎
家主女房おさい   松之助
らくだの宇之助   片岡亀蔵

<みどころ>
酒で豹変、立場が逆転する笑いあふれる上方世話物
 大坂が舞台の『らくだ』は、上方落語の名作を題材にしています。とある裏長屋。「らくだ」と呼ばれた宇之助が、ふぐの毒に当たって急死します。通夜をしようと、兄貴分のやたけたの熊五郎は、紙屑屋の久六を脅して、家主のところへ無心に行かせます。要求を断られた久六に、熊五郎は一計をめぐらし…。
 気の弱い久六と遊び人の熊五郎の立場が変化していくユニークな世話狂言をご覧いただきます。

落語の「らくだ」には江戸と上方の二つのヴァージョンがあるが、こちらは上方版に倣ったもの。勘三郎と三津五郎の『らくだ』のように江戸前でもよかったのでは。上方出身ではない中車が全力で久六になりきろうとしていたのは、さすが真性演技者としての面目躍如ではあったし、それは高く評価したい。でもちょっと違和感が。対する愛之助は上方出身を生かした言葉遣い。楽勝?と思ったけれど、こちらもどこか違和感があった。全体的に間延びした感じ。シネマ版と比べてもそう。シネマ版は元の落語のテンポと生きの良さがそのまま舞台に反映していて、実に小気味よかった。それに比べると、今回の『らくだ』はテンポがゆるい。愛之助がいくら速めようとしても、それた空回りしている感じ。中車も自分の立ち位置を決めるのに、逡巡している感があった。

名優二人でもってしてもこの違和感。これは演出の問題だと思う。演出を担当した今井豊茂氏は『あらしのよるに』の脚本を書いた人だとわかった。納得。2015年に南座で観て、感心しなかった舞台。その時は獅童の力不足だと思ったのだけど、あれは脚本の問題だったのだ。賞まで獲られたようだけれど、あの間延び感は「新作歌舞伎」という謳い文句にはふさわしくないと感じた。それと同様の間延び感が今回の『らくだ』にも。とにかくキレが悪い。大衆演劇で何回か見ているけれど(上方版)、そちらの方がはるかに面白かった。テンポも速く、キレが良かった。楽しかった。見ていて「苦痛」を感じた『らくだ』は初めて。

違和感いっぱいの中でもただ一人、本領発揮していたのは亀蔵。彼の持ち役ですものね。安心して見ていられた。思いっきり笑えた。さすがです。

愛之助は脚本・演出に無理に合わせようとして、目一杯「きばらなくてはならなかった」のかも。気の毒。もっと気の毒なのは中車。屑屋の久六の人物像の演出が彼の思い描いていたものとズレていたのでは?上方ものということで、上方人間ではない彼には「遠慮」があるように感じた。あの「カマキリ」的ユーモアセンスを発揮しても大丈夫なのに。大歓迎なのに。もっとアップテンポで演技する役者さんなので、それを生かして欲しい。

残りの公演は愛之助も中車も演出の枠を打ち破って彼らの個性を存分に発揮して欲しい。ぶっ飛んで欲しい。だるい『らくだ』なんて、「らくだ」じゃない。