yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『流転兄弟花道』劇団花吹雪@京橋羅い舞座11月28日昼の部

ジョゼフさんという方のブログに劇中劇で歌舞伎の『鏡山』(加賀見山旧錦絵)が使われているとあったのを読んでいたので、何としても見たかった。

てっきり例の「岩藤の草履打ち」が見られると予想していたのだけど、見事外れ。お初が尾上の復讐をする「奥庭の場」だった。歌舞伎のパロディ版を書くとしたら、岩藤の草履打ちというインパクトの強い『鏡山』、それか政岡の「忠臣」ぶりを示す『先代萩』の「御殿の場」をソースにしたいと考えたこともあった。いずれも悪役キャラが「活きる」芝居。使い甲斐のあるというか、崩し甲斐がある狂言

ただ、この花吹雪の『流転兄弟花道』では、「奥庭の場」は元の狂言を崩さず、それがパズルを解く鍵になるように芝居全体が構成されていて、その構成の妙に唸った。「奥庭」が使われたのには理由があった。それは敵討ちがこの芝居のテーマだから。タイトルにあるように兄と弟の物語。人物関係が劇中劇の「奥庭の場」に収斂、そこで生き別れになっていた兄弟の再会、そして親の仇討とが重なるという構図。

劇中劇で使われる芝居のクライマックスにこの場面が来るように設定されている。親の仇を探すため、兇賊に姿を変えている兄(春之丞)が、今では歌舞伎役者になっている親の敵(愛之介)を討つ。それがそのままその舞台で殺されそうになっていた弟役者(京之介)の窮地を救うことになるという筋立て。兇賊になった兄と弟の再会という筋の芝居は大衆演劇によくかかるが、そこにこの劇中劇をはめ込んで、敵討ちというテーマをより強固にするという趣向。

冒頭に兇賊になった兄が大店に盗みに忍び込み、そこで図らずもその大店の贔屓である弟と再会するという前口説が置かれている(ただし、弟は兄だとは知らない)。大店の主人が殺される場面に出くわすのだが、その下手人こそ彼が探していた親の敵だった。という前提のもとに例の劇中劇へと続く。

また、兇賊の兄が大店に忍び込んで捕らえられるけど、目明しの親分(健之助)の情けで一日だけの猶予をもらうというのは、これまた大衆演劇によくあるモチーフ。いろんなモチーフを組み合わせた結果がこのお芝居。

つまり、いくつかのお芝居のコラージュ。そこに劇中劇として『鏡山』の一場面が組み込まれている仕掛け。主の敵討ちという『鏡山』のテーマと、兄弟の敵討ちが重ねられている。兄弟の敵討ちも、これまた歌舞伎の曽我兄弟のそれを連想させる。幾重にも歌舞伎のアリュージョンが浮かび上がる。

こういう凝った構成はどなたが考えられたんだろう。