yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

ブルーシャトル・プロデュース『龍の羅針盤』@グランフロント大阪北館4階 ナレッジシアター

舞台狭しと繰り広げられる殺陣/舞踊。演じるのはキラキラした目の役者さんたち。そのピュアさが直に伝わってきた。ほとんどがまだ20代前半と思われる。観客のほとんどもその年代層。とくに舞台前の数列は10代から20代と思われる女性が多かった。そこに高校生らしき男子集団も混じる。「劇団☆新感線」の客層も若いけど、この公演はそれ以上に若い。場違いに感じても当然なんだけど、なんか居心地がいい。それはこのナレッジシアターの雰囲気がアットホームな感じがするせいだろう。とてもいい劇場。それはNYのオフ(オフ)ブロードウェイの舞台と共通している。また、池袋の東京芸術劇場の舞台とも似ている。このような「清新」な舞台にふさわしい場を提供している。

休憩なしの2時間ぶっ通し。でも、このナレッジシアターの雰囲気がいいのでうんざりしない。こんな新しいスタイルの演劇が出てきたのですね。同じスタイルの芝居をつい先日見たところだった。「3D-DELUX」の『国性爺合戦』。記事にしている。この形態は歌舞伎の延長にあるものだろう。「劇団☆新感線」の発展系とも捉えられるかも。商業演劇、小劇場の舞台とは違ったルーツから出ていると思われる。

『国性爺合戦』にはかなり引いたのだけど、この『龍の羅針盤』は荒削りなところが逆に魅力になっていた。荒削りというのは、演出も役者も擦れていないということ。「黎明期」の勢いがそのまま舞台に素直に現れていた。「真に舞台が好き、だから目一杯力を出し切る」という姿勢がびんびん伝わってきた。変な媚びがない。こういう素直さは貴重。

その点で、芸文センターで見た『真田十勇士』の(名だたる役者を打ち揃えての)舞台の「手垢のつき方」とは一線を画していた。手垢がつくと、つまらなくなる。感動の押し売りをされているような居心地の悪さが付きまとってしまうから。新しいジャンルの舞台をするとき、その新しさを顕す役者陣と演出が絶対条件なのだと、しみじみと感じた。

舞台は怖い。当然採算を気にしなくてはいけないビジネスでもあるわけで、そこのところのバランスを取るのは至難の技かもしれない。今日の舞台に関していえば、高く評価され、ステイタスを確保する可能性が極めて高いように思った。頑張っていただきたい。

以下、公式サイトから。

<ストーリー>
明治十年、西南戦争始まる
新政府に反旗を翻したのは、薩摩藩を中心とする士族達
だが次第に追い込まれ
熊本・田原坂にて西郷隆盛は最後の刻を覚悟する
永く続いた武士の時代は、間も無く終焉を迎えようとしていた
薩摩藩士・村田新八は、かの男に託された羅針盤を見つめる
坂本龍馬
彼が夢見た未来の国とは
その命を断ったのは果たして誰なのか
龍馬とはいったい何者だったのか
羅針盤を手にした者たちが語る、坂本龍馬の五つの曳き波
時は幕末
池田屋から薩長同盟、そして大政奉還
時代は回天する
東へ西へ、龍馬は船を走らせた
海に沈んだ龍馬の真実を全力疾走で追い求める、BSP最新作

<キャスト>
16人の写真入りのリストをリンクしておく<。

坂本龍馬 松田 岳
トーマス・ブレーク・グラバー 田渕法明
勝 海舟 梅林亮太
中岡慎太郎 田中尚輝
岩崎弥太郎 石田直也
武市半平太/大久保利通 青木 威
桂小五郎 鐘ヶ江 洸
高杉晋作 山本誠大
斎藤 一 黒田陽介
伊藤博文 中内天摩
近藤長次郎 新 正俊
望月亀弥太 藤田恭平
後藤象二郎 池之上頼嗣
村田新八 澤田 誠
西郷隆盛 山本健史
徳川慶喜 土倉有貴

一つ気になったのは、短いエピソードを重ねてゆくという構成の仕方では、人物間の関係がもう一つピンとこなかったこと。相関図のようなものを舞台のどこかに明示するか、あらかじめ配布するチラシ等に載せておくのが親切な気がする。また、登場する人物があまりにも多い。役者の数にあわせるということだったのだろうけど、これだと劇的クライマックスの構築はできない。龍馬のいきざまに焦点を合わすということなら、それとあまり関係のないエピソード、人物を排するなり整理した方が、スッキリする。また観客にも親切。ハイライト部がどこにあるのかが、いまひとつ曖昧だった。