yoshiepen’s journal

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平幹二朗が老演出家を演じる『クレシダ』@サンケイホールブリーゼ 10 月8日

すばらしい舞台だった。気がついたら泣いていた。カーテンコールが3回。スタンディングオベーションも。主演の平幹二朗を始めとする男優陣が良かった。また演出(森新太郎)が最高だった。主役のシャンクを演じた平幹二朗と衣装係役の花王おさむ以外はすべて若い男性というキャスティング。

以下、公式サイトからの写真を拝借する。


翻訳劇で泣いたのは去年9月、梅芸で見たオニールの『夜への長い旅路』以来。日本でいわゆる翻訳劇をやると大抵失敗する。セリフの処理に困るから。最近見た中で例外は『夜への長い旅路』と今年今年1月シアトリカル應典院で見た『ハイライフ』のみ。

この『クレシダ』は劇中にシェイクスピアのセリフが散りばめられている。何しろ設定がシェイクスピア没後20年のロンドンのグローブ座っていうんですからね。グローブ座の役者兼座付き脚本家だったシェイクスピア。作品のセリフの引用がこれでもか、これでもかというくらい出てくるのは当然。それらを自家薬籠中のものとして、役者たちが披露する場面は、元のシェイクスピアの劇と舞台の状況とが重なって、ワクワクする。『リチャード三世』、『お気に召すまま』、『オセロ』、『夏の夜の夢』等。そしてもちろん、『トロイラスとクレシダ』。

「演劇キック」から借用させていただいた配役とあらすじが以下。

原作者 ニコラス・ライト(Nicholas Wright)
演出 森新太郎

ジョン・シャンク(元俳優。今は少年たちの演技指導者)平幹二朗
スティーヴン・ハマートン(少年俳優)浅利陽介
ウィリアム・トリッジ(少年俳優)碓井将大
アレキサンダー・グーフィー(少年俳優)藤木修
ジョン・ハニーマン/通称ハニー(少年俳優)橋本淳
ジョン(衣裳係)花王おさむ
リチャード・ロビンソン/通称ディッキー(劇場支配人)高橋洋

【あらすじ】
1630年代頃のロンドン。
名優だったシャンクは晩年、グローブ座の演技指導者になっていた。そこに養成所からスティーヴンが入所を希望するが、彼の話し方は幼く、シャンクは彼の入所を断った。

スティーヴンはシャンクに対して養成所のメンバーが逃亡したことを伝える。公演ごとに役を養成所の若い少年たちのメンバーに頼っていたシャンクは、今日の公演に困り、しぶしぶスティーヴンを受け入れる。しかし、シャンクは彼を認めていなかった。

借金を負ったシャンクは、少年俳優スティーヴンを売り飛ばすことを計画。『トロイラスとクレシダ』の上演を考え、彼を芝居に登場させて、地方劇団からの声がかかるように仕向けるのだが…

このプロダクションの臨場感溢れる舞台の様子がアップされているサイトをリンクしておく。

森新太郎のフレッシュ感溢れる演出がここまでの説得力のある舞台にしたのは間違いない。平幹二朗が良かったのはもちろんだけど、若手俳優全員がいかにもはまり役だった。特に優れていたのがハニー役の橋本淳。背が高く、いかにも王子様然としている。『お気に召すまま』のロザリンドを演るのも当然と思わせるイキの良さだった。衣装係の花王おさむもコミカル度を上げるのに貢献していた。『真夏の夜の夢』のあのロバの被り物を持ってウロウロするところ、おかしかった。

作品そのものの背景を若干付け足す。当時のグローブ座の演出家だったシャンク。彼は若手役者養成所をも「経営」していて、その養成所で育てた役者を使ってグローブ座で芝居を打っている。彼自身がそうだったように、養成所の座員は孤児か親に捨てられた男の子たち。養成所はいわば救貧院兼孤児院のようなもの。彼らに食を提供、役者になってからはごく少額の出演料を払って、なんとか座を運営している。

原作者のライトがこのあたりの歴史考証には随分と時間をかけたというのが、ロンドンでのプロダクション(@Albery Theatre in London、2000年4月)のEvening Standard紙の劇評に詳しい。というのも彼自身がシャンクと重なる履歴の持ち主だから。この劇評にある彼の経歴は以下。

1940年、南アフリカのケープタウンの生まれ。演劇のキャリアを南アフリカでスタートさせた後、英国にわたる。しかし自身の訛りの修正に苦労したという。このあたりは、劇中のスティーヴンに重なる。Royal Court Theatre Upstairsを 1969に創立、その後、キャリル・チャーチル等と仕事、1975年から本格的に脚本を書き始めた。ナショナル・シアター付きの脚本家になり、ピーター・ホールやリチャード・エア等とも仕事をしている。ナショナルシアターを1999年に去ってから、この『クレシダ』を書いた。

彼自身の経歴がこの作品に色濃く反映しているのがわかる。特にシャンクに。貧しくともパワーの溢れた若手役者と、もう先のない自身を否応なく比べてしまう。苦い思い。もともと毒舌家がさらに輪をかけて辛辣な言葉を発してしまう。でも実際は情けが深い。この奥行きのある人物を受肉化して、平幹二朗が素晴らしい出来。特に最初の場での『リチャード三世』のあの傴僂の真似とひねくれたセリフの見事さに唸った。モデルになる人物が当時のグローブ座にいたらしい。それを「探し出して」主人公に仕立てた作者のライト。この人物への温かい思いは、その最期をcloud nine(キャリル・チャーチル!)に乗ったベッドで迎えさせるところに、よく表れているように思う。

「老い」vs.「若さ」という対比で「老」の方に入る人物がもう一人。ドレッサー役の花王おさむ。今はドレッサーでもかっては若手役者であったという設定。それも女形専門の。時々昔とった杵柄を披露するのもおかしいやら悲しいやら。少年俳優たちがやがては彼やシャンクのように老いてしまうことを暗示している。

当時、老いる以前に少年役者は声変わりすると舞台に立てなくなったらしい。日本の若衆歌舞伎を思い合わせてしまった。イギリスと日本、時代もかぶっている。そういう連想が幾重にも重なり、膨らんんで行く。さらには現代の大衆演劇の若い少年役者の姿もかぶってしまう。私のみの妄想かもしれないけど。深く、深く、彼らの姿、そしてシャンクの姿が、そして彼らの言葉が私の奥に沈殿した。

なお、タイトルの『クレシダ』はもちろん『トロイラスとクレシダ』から。でもこの作品を読んでいないので、原作者のライトがなぜこれを使ったのかはよくわからない。スティーヴンが演じることになった「クレシダ」、彼のハニーへの思いとクレシダのトロイラスへの思いを重ねた?ただ、『クレシダ』ではその思いは、『トロイラスとクレシダ』と異なってハッピーエンドになるような含みを持たされているのだけど。

この作品が胸に堪えた理由の一つがこの結末。この二人の行く末だけでなく、シャンクの最期にも悲劇の極みっぽい押し付けがないところ。シャンクの行く先がCloud Nineであるという暗示がステキ。原作者のシャンクへの最高のオマージュであり「勲章」!