yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

映画『帰って来たヒトラー』@TOHOシネマズ西宮OS 7月1日

タイトルを見ただけで、どうしても観たくなった。「ヒトラー」という固有名詞そのものがタブーになっているドイツで製作された映画というだけでも、驚き。

ティムール・ヴェルメシュが2012年に発表した風刺小説、『帰って来たヒトラー』(原題、「Er ist wieder da」の映画化。現代のドイツに蘇ったアドルフ・ヒトラーが巻き起こす騒動を描く。ドイツではベストセラーになったという。

公式サイトに載っていた概説が以下。

ギャップに笑い、まっすぐな情熱に惹かれ、
正気と狂気の一線を見失う―。
• 歴史上〈絶対悪〉であるヒトラーが現代に甦り、モノマネ芸人と誤解されて引っ張り出されたテレビの世界で大スターになるという大胆不敵な小説が2012年にドイツで発売。絶賛と非難の爆風をくぐり抜け、国内で200万部を売り上げた。その世界41カ国で翻訳、権威あるタイムズのベストセラーリストでも堂々NO.1に輝いた問題小説が、まさかの映画化!ドイツではディズニーの大ヒットアニメ『インサイド・ヘッド』を抑えて第1位を獲得した。
主役を演じるのは、リアリティを追求するために選ばれた無名の実力派舞台俳優。ヒトラーに扮した彼が街に飛び込み、実在の政治家や有名人、果てはネオナチと顔を合わせるというアドリブシーンを盛り込んだセンセーショナルな展開と、原作とは違う予測不能な結末は、一大ブームを巻き起こした。

「Cinema Café net」には映画内容の詳しい解説と写真が。

最も危険な独裁者が“モノマネ芸人”としてブレイク!?
リストラされたテレビマンに発掘され、彼の復帰の足がかりにテレビ出演させられた男は、長い沈黙の後、とんでもない演説を繰り出し、視聴者のド肝を抜く。自信に満ちた演説は、かつてのヒトラーを模した完成度の高い芸として評価を集め、その過激な毒演はユーモラスで真理をついていると話題になり、やがて大衆の心を掴み始める。

しかし、誰もがその男の“真実”に気づいていなかった。彼が70年前からタイムスリップしてきた“ホンモノ”であり、天才的な扇動者(アジテーター)である彼にとって、現代のネット社会は願ってもない環境であることを…。

2012年にドイツで発売されるや、絶賛と非難の爆風をくぐり抜け、国内で200万部を売り上げ、世界41か国で翻訳。権威ある「タイムズ」のベストセラーリストでも堂々NO.1に輝いた問題小説が、まさかの映画化!

第二次世界大戦から70年。全てが変わった現代社会で、あのころと変わらぬ思想とともに生きる男が繰り出すギャップに爆笑し、誰よりも愛国心に富んだまっすぐな情熱に惹かれてしまい、正気と狂気の一線を見失う現代の民衆の危険さを、本作はモラルと背徳の間ギリギリのユーモアで描き出していく。

キャストは以下。

監督/脚本: デヴィッド・ヴェンド

アドルフ・ヒトラー      オリヴァー・マスッチ
ファビアン・ザヴァツキ    ファビアン・ブッシュ
クリストフ・ゼンゼンブリンク クリストフ・マリア・ヘルプスト
カッチャ・ベリーニ      カッチャ・リーマン

話題満載というか、極めてcontroversialな題材。だから公式サイトにこれだけの多量の「解説」が付いているのだろう。おそらくはドイツ語で書かれた既存のものを翻訳したもの。そこに未だ彼の名自体がタブーであるドイツ本国では、ここまでの「留保」を付けないとヒトラーを主人公にした小説、映画なんて生み出すことが不可能だから。ファースとしてあくまでも茶化しのめすという体裁を採ることで、初めてこういう小説、映画ができるということ。それもドイツ人自身の手によって。

テレビという巨大マスメディアに乗ることで、アジテーターの本領を発揮、効果を挙げるヒトラー。その言説に知らず知らずのうちに巻き込まれ、同調して行く人々。メディアに乗った段階で、彼の言動は全てパフォーマンスの一環として捉えられる。もちろん現代のIT機器利用で、以前よりはより広範囲の拡散があるかもしれない。でも人を扇動し、同調させるという原理は同じ。これはヒトラーが当時人々を扇動したのと何ら変わらない。元の小説を読んでいないけど、その辺りの描き方はどうだったんだろう。でも映画にすることで、刻々と人を巻き込む様子を、よりにリアリティを持って描くことができている。

特に圧巻だったのが、テレビ界の番組決定のあまりにも大衆迎合的なやり方。その倫理感のなさ。これでもかこれでもかと、それこそ喜劇の域になるまで描き込まれる。視聴率稼ぎがそのまま権力闘争の種になっているというのは、ドイツにだけの現象ではないだろう。

『帰ってきたヒトラー』の最も大きなテーマが現代のマスメディア批判であることは間違いないだろう。と同時に大衆批判でもある。先日の英国でのEUに残留かどうかを問う国民投票を想起してしまった。もちろんアメリカの大統領選も。ポピュリストが勝利するというのは、いかに「民主主義」が行き渡っているかに見える現代でも、ヒトラーの時代とそう変わってはいないのかも。

もっとも印象的なのが、ザヴァツキがヒトラーを追い詰めるシーン。ザヴァツキは拳銃でヒトラーを撃ち、ビルの屋上から転落させる。そこでのヒトラーのセリフ、「おまえ自身の中に私はいるのだ」。確かにザヴァツキは、否私たち大衆は、ヒトラーから逃げられない。これぞ大衆への強烈な批判。まさに「大衆は常に過つ」から。

ただ、映画としてみたとき、公式サイトに寄せられているような高い評価ができないと思った。ジャーナリスティックになりすぎている。確かに現象としての「ヒトラー」を探るという社会学的なアプローチでは成功しているだろう。でもそれがどこか計算ずく。ドイツ人気質とでもいうのだろうか、ウルトラ級に真面目に「ヒトラー」を分析、それを現代にパズルのように当てはめ、図式化する。その点では優等生。でも文芸作品としてのそこからのプラスαがない。ゲーム的と言えるかも。面白さが、あえて言えば猥雑さがない。その匂いがない。「あなたの中にもヒトラーはいますよ」と言われれば、確かに「はい、そうです」となるだろう。でもそれに「存在に食い入ってくる深刻さ」がないとても言おうか。見終わった後、何かわからないおぞましさを共有させられたといった感慨はなかった。