yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

たつみ演劇BOX 『小泉版遠山の金さん』小泉たつみ座長誕生日公演@朝日劇場5月27日昼の部

小泉たつみ座長、35歳になられた。二年前の誕生日公演の演目、『三人吉三』にも唸らされたけど、今回はそれを上回るすばらしさだった。こういう傑作を生み出すたつみさん、なんとしても元気になっていただかないと困る!

おそらく基になったのは映画、『御存じいれずみ判官』(1960年)だと思われる。映画解説にあったサマリーを以下にアップしておく。

遠山家では金さんの父景晋が、抜け荷買いの一味と気脈を通じていたという疑いで長崎奉行の地位を追われた。抜け荷買い一味の糸をたぐっていくと、加賀の廻船問屋銭屋五兵衛のもとから加賀百万石にまで疑惑の影が拡がっていく。

真相究明にのり出した金さんは、加賀鳶太吉に近づいた。火消し部屋にまぎれこみ、加賀鳶の頭領皿子十兵衛が加賀藩主斉泰の妾お美代の方の育ての親であり、お美代の父が幕閣に勢力をもつ雪翁だという事実を耳にした。金さんに首ったけの孔雀長屋のお景、丑松と一緒に金さんは加賀の国へ向った。

五兵衛と対面、加賀藩御用の立札を立て禁制品を運んでいたのは渡海屋だということを聞いた。金さんは渡海屋の船着場で、禁制品の数々が積みこまれるのを目撃した。金さんは江戸に帰り、加賀藩邸に忍びこんだ。そこで、奥方暗殺と藩邸放火を企む渡海屋と筆頭家老大月利左衛門との密談を耳にした。が、警戒がきびしくて邸の外に出られない。奥方は暗殺され、邸は火焔に包まれた。放火したのは十兵衛だった。加賀鳶の太吉は赤門を守って焼死した。この太吉と十兵衛は皮肉にも実の親子だったのだ。十兵衛は悪の報いの恐ろしさを知り改心したが、十兵衛は一味に斬られた。

ある日、雪翁の新邸で将軍家慶御覧の能狂言会が催された。鬼神の面をつけて登場した鶴之丞の口からは、陰謀暴露の言葉がとび出す。踊り手は金さんだった。激怒する雪翁。だが、金さんに家慶は裁きの全権を与えた。抜け荷の騒ぎは斉泰を失脚させ、お美代の方の子鶴千代に家督をゆずらせ、加賀藩をのっとるという大陰謀だったのである。

これに補足すると、陰謀の首謀者である廻船問屋銭屋五兵衛(瞳太郎)と渡海屋とは実は同一人物だった。彼と抜け荷の悪事を組むのが加賀藩筆頭家老大月利左衛門(宝)。遠山の金さんが大活躍の立ち回りの末、彼らをひっ捕らえる。もちろん!桜吹雪の入れ墨を披露しながら。

大筋は加賀藩のお家騒動。そこに金さん一家家督をめぐる騒動が組み合わさっている。遠山の金さんこと遠山景元(たつみ)は景晋の庶子だったので、弟(ダイヤ)に家督を譲るべく家を出ている。その弟は、長崎奉行だった父に同行し、長崎の鳴海塾で剣の腕を磨いている。その鳴海塾の塾長(宝)がなにものかによって暗殺される。彼が抜け荷一派の誓約書を持っていたためだった。塾長はその誓約書を塾生の金さんの弟に託していた。今度は、連判状をもつ弟が抜け荷一派に命をつけねらわれることになる。

加賀藩家老と渡海屋の陰謀結託を示す証拠になる誓約書をもって逃走していたものの、ついには捕えられ、拷問を受けた金さんの弟。その母も捕えられ、同じ牢に入れられる。そこに金さんがかけつけ、二人を解放するが、弟は亡くなってしまう。幼いころ二人でよく上った木のことを語りながら。ただし、誓約書については何も言わなかった。ここ、サスペンス度の高まるところ。でも鋭い人はここで、「ははーん、あそこだろう」と見当がついたはず?!

悪事の証拠である誓約書の在り処が分からないと、一味のしっぽが掴めない。で、最後の大団円たる白洲場面。北町奉行所の白洲に引き据えられた大月、渡海屋一味。それでも白を切り通す。奉行の遠山景元は一味の悪事の証拠として彼らの誓約書を示す。弟の最期のことばから、それが幼いころ弟よくのぼった木の枝に隠してあったことを推察した彼が、取りにやったものだった。それでも白を切る一味。こんどはお奉行ならぬ金さんがもろ肌脱ぎで桜吹雪の入れ墨をみせ、悪事の目撃者であることを示し、「これにて一件落着」で終わる。

二つの「お家騒動」が絡むものすごく複雑な筋。その上抜け荷の陰謀も二重構造。登場人物も多彩なので、劇団の人数では足らず、宝さん、満月さんは二役も三役も。

この芝居自体には、たつみさん自身のご自分の「家」(劇団)への思いも絡んでいるようにも思えて、ちょっとほろり。

それにしてもあっぱれ!この複雑な筋をそれなりに縮小、できるだけ齟齬のないように組み合わせたお手並み。たつみさんの頭脳明晰さに感服。それもほとんど時間のとれない中での作業ですからね。二年前の誕生日公演(於浪速クラブ)での『三人吉三』の完成度の高さにも驚嘆したけれど、こんどもそれと同じくらい、否それ以上に感嘆。

「遠山の金さん」をネット検索してその筋をみてみると、池波正太郎の「鬼平」にも通じるところが多々あるのに気付いた。類似の筋書きというか、十八番になっているモチーフがある。それは歌舞伎にも通じるもの。「歌舞伎的なもの」とでもいおうか。猿之助が「ウタフクヤマ」という番組でテレビ、映画から「時代劇」が消えて行きつつあるのを嘆いていたことと思い合わせてしまう。もっとも最近では、「時代劇」に斬新な意匠を纏わせた作品も作られてはいるようだけど。いわゆる「時代劇的なもの」はこういう斬新な形のものによりも、大衆演劇にこそ残っているのかもしれない。

歌舞伎といえば、この日劇場の玄関に市川笑三郎さんからの花環が。毎年お誕生日にななにかしらのプレゼントがあるよう。その美しさにおいて、正統派の所作において、卓越した演技力において、たつみさんと笑三郎さんはよく似ておられる。