yoshiepen’s journal

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「日銀審議委員に経歴疑惑 『博士号持っていない』と東京大学が結論づける」

livedoor newsの記事

東大自ら調査した上の結論。その人物は、4月から日本銀行政策委員会の審議委員に就任したばかりの櫻井眞氏(70)。日銀のホームページ掲載の「櫻井氏のプロフィール」には、中央大学経済学部を卒業後、〈昭和51年3月 東京大学大学院経済学研究科博士課程修了〉」となっていたらしい。これは明らかに学歴詐称。

ずっと以前の日本の大学の博士課程では、博士論文を提出しないで、中途退学(『単位取得退学』)する人が多かった。そういえば、私の先生たちの多くが(於文学部)博士号を持っていなかった。40歳を超えてから「再挑戦」した人もいたよう。これは人文系、特に文学部では普通だったのでは。勤務先の大学ででも、博士号を持っている人が多くはないのに驚いたものである。これが理系になると事情はかなり変わるのだとは思うけど。この櫻井氏、博士号を持っている人が少なかった世代であるかもしれないけど、詐称はやっぱりまずい。

論文だけ残して、大学に就職するケースはアメリカでもある。ABD (all but dissertation)という。ただその状態のままだと、数年のうちに首になる。私のペンシルベニア大学院時代の友人で、ABDのまま2年ほどジョージア州の大学で教えていた人がいる。その間に博士号(Ph.D.)を取るというのが条件だったはず。彼は取れなくて解雇、大学に戻ってさらに2年かけて論文を書き上げた。その他にも何件か同様のケースを知っている。博士号を持っているのが必要最低条件なのがアメリカの大学での雇用。

日本はそれに比べると「安直」に過ぎるように思う。一番首をかしげるのが、博士課程の仕上げである論文の審査を、博士号を持たない教授がするということ。さらに変なのが博論の審査を当人の指導教授がすること。完全な馴れ合い。これ、おかしいでしょ?これからも分かる通り、博士号をあまりにも「軽く」見るのが日本の大学。「博士号なんていらない。なくても優秀な人はたくさんいる」という弁を度々聞いた。でもそれはあくまでも言い訳。そういうことを言う御仁に限って優秀でもなんでもない。

大して優秀ではない古い体質を持った人(たち)が牛耳っているのが日本の多くの大学。バカバカしくてやってられないと何度思ったことか。その上一旦「就職」すれば、簡単には解雇されない。10年、20年、30年と論文一つも書かなくても、解雇されない。アメリカでは有り得ない。日本で何人ものこういう準教授、教授を見てきた。ただ彼(女)たちは、生き残るための政治的センスには長けてはいた。まあ、そうならざるをえないというのは、分かりますけどね。

生ぬるいのが日本社会。大学組織ももちろん例外ではない。能力のない人間ほど大きな顔をしている。ただし、「能力」は研究力の意味。アメリカの大学では、「Publish or perish」というのが当然の掟。

博士号(Ph.D.)取得は「研究生活の入り口」と、私の指導教授はよくおっしゃっていた。それすらもクリアできないのであれば、研究者を諦めるしかない。私にはこの言葉が励みになった。はじめの一歩なんだったら、そう気負わなくともいいと。とにかくdissertation論文を書き上げること。すべてはそこから始まる。

でもやっぱりキツイですよ、母国語でない言語で300頁を超える論文を書くというのは。しかも、論文を書いてもそれで終わりではない。そのあと「defense」が待ち受けている。普通は4人の委員(教授)との数時間に渡る「闘い」。その委員の中に自分の主任指導教授は入っていない。また、他大学の教授が一人入ることが多い。これ、審査の公正を図るため。朝10時に出向いて行き、そこで自分の論文のどこに意義があるのか、どこが新しい視点なのか、研究分野にどれほど貢献できるのかを40分程度スピーチ。それから委員の先生たちから厳しい質問を受ける。2時間は冷や汗との闘い。

アメリカのちゃんとした大学のPh.D.が信用できるのは、こういう過程を経て出されるものだから。もちろん論文の前には4、5年(以上)に渡る必要科目の履修もあるし、教員になる「予行演習」たるTAも体験しなくてはならない。日本の場合、どうなんでしょうか。同僚の準教授昇任人事の審査員をさせられたとき、その人が書いた博論を読んでひっくり返ってしまった。英文学の論文なのに日本語。しかも170頁。論旨の組み立て方にも、内容の意義にも疑問符がついた。「審査は形ばかりで、実質なかったのでは?」と疑ってしまった。あるいは指導教授の力が恐ろしく乏しかった?