yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

「羽生結弦選手の演技への能の影響」という題の発表をすることに

英国、Liverpool Hope Universityでこの6月末に開催される、「Theorising the Popular学会」へ提出したプロポーザルが通った。「A Reflection of Noh on Hanyu Yuzuru’s Performance」というタイトルでの私の発表、プロポーザルの提出は一週間も遅れていたのだけど。

学会の名前からも分かる通り、ポップカルチャーの理論化を目指す学会。毎年一回開催されているようで、トピックも今まで参加してきた中で最も多様、かつ先鋭的だった。ポップカルチャーの一つとして「スポーツ」という項目があったので応募したのだけど、こんなのは珍しい。羽生選手の「SEIMEI」を主として取り上げ、能の影響を検証する。拠るtheoryは記号論になる可能性大。

今からペーパーを書かなくては。学会までに20枚程度の論文にしておくつもり。300語程度のプロポーザルに数日もかかったくらいなので、どうなるやら。問題はそれ以外にもやりたいことが出てきていること。

この日曜日にオペラ『曽根崎心中』を見た。歌手の方たちの力量はさておき、脚本と演出にがっかりした。「杉本文楽」の『曽根崎心中』にも失望したけれど、それとは違った意味でがっかり。古典を現代によみがえらせることの難しさに改めて思い至った。この作品についてはフィラデルフィアにいるころに講演したことがあり、思い入れもある。また三代目鴈治郎のお初で、ずっと見てきたという自負もある。このオペラに招待してくださった元同僚の先生に、思わず「私ならもっとうまく脚本を書きます」なんて、言ってしまった。

でも、やってみたい。実際に劇団に使ってもらえるかはわからないけど、やっぱり書いてみたい。近松のすばらしい表現を活かしつつ、それを詩的現代語に置き換える。また劇構成も元の浄瑠璃をできるだけ崩さずに、ぐっと現代的な形に組み替えたい。なんてことを考えだすと、何も手につかなくなる。