yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

大衆演劇の観客と劇団、そして某匿名掲示板

某匿名掲示板の大衆演劇のスレッドをみれば、大衆演劇の観客のレベルが自ずと判る。歌舞伎、小劇場、商業演劇といった演劇の他ジャンルの客とのギャップを否応なく思い知らされる。残念だけれど、ここにコメントを書く人の層は、おそらくは社会のある層。それはそのまま、従来の大衆演劇の観客層かもしれない。

社会学が専門であれば、この掲示板ほど面白いモノはないし、役立つものもない。多くのナマの資料を提供してくれるから。残念ながら、私の専門は文学。このサイトは研究の対象になりそうもない。ただ、ある種の情報は提供してくれる。それは当該劇団が今どの位置にいるかということ。どういうファンが付いて(憑いて)いるかが、手にとるように判る。ここで上の方に「いる」劇団ほど問題が多い。

最近気づいたのは、この掲示板の大衆演劇の劇団スレッドに投稿する人のかなりが、「ファン」だけではなく、劇団の内部の人、関係者ではないかということ。ここに書き込む人の特徴は、文章がおかしい。日本語の根幹を成す助詞が使えていない。こと程左様に文章がハチャメチャ、日本語の文章になっていないので、何が言いたいのかが分からない。意味不明。その点ではきわめてアブストラクト。おみごとです。しかもそのほとんどが女性。彼女(たち)は、敵対する劇団の悪口のみならず、親族の劇団の悪口をもアップ。親戚劇団の座長の妻、あるいは女性座員への悪口雑言。ほとんどは嫉妬から出たもの。それのみか、自身の劇団の(自分より綺麗で実力のある)女性座員さんの悪口をアップしている。こういう悪質なのは、昨年末に観劇した一劇団だけではあるけれど、おそらく他にもあるだろう。

もう一点、大衆演劇の最大の「特徴」の一つが観客のレベル。頻繁に観に行っていた劇団を観に行かなくなる理由のほとんどが観劇中の観客のマナーの悪さ。さらには送り出しで座員さんたちにべったりと張り付く客のレベルの低さ。それと呼応するかのような劇団自体の下品さ。例の暴力事件を起こした南條隆劇団はいうに及ばず、一般に大衆演劇の劇団、そしてそれにパラサイトしている観客の質の低劣さは、目を覆うばかりだった。彼(女)らは自分が特別扱いされないと、不満たらたら、その不満をこの掲示板で「拡散」。醜さの極み。それが醜いと分からない、頭の悪さ、品性の卑しさ。金輪際出喰わしたくない。

それが大衆といってしまえば、それまでなんだけど、でも社会において、その低俗を規準として、大衆演劇全体が評価されるのが口惜しい。

大衆演劇(旅芝居)こそが、日本芸能、演劇の原点を、演劇の祖型をみせてくれると、私は信じている。だから、レベルの低い劇団、観客に足を引っぱられ、世間的な大衆演劇の評価が上がらないのが残念。志のある、芸術度の高い劇団をしっかり支持、ずっとサポートして行くのが、同時代を生きている私たちの務めなんだと、あらためて思わされる。

とはいえ、七年に渡って大衆演劇の劇団を見てきて、なんどがっかりさせられたことか。その中で、最も唾棄すべきなのはハラスメントが常態となっている劇団。こういう劇団には早急に退場してもらいたい。でも座員さんへの暴力事件を起こした例の劇団がいまだ存続していることからも分かるように、なかなか退場しないんですよね。

最近は、ほぼ即座にその劇団の体質が判断できるようになった。例の暴力劇団を始めとするほとんどの「九州系」劇団はパス。これらの劇団は彼らが好んで演じるやくざもの芝居からも推察できるように、感覚が前時代的。前近代的やくざ世界に生息している人たち。天然記念物(dinosaur)。