yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

ライル・ケスラー作『オーファンズ』@神戸オリエンタル劇場2月27日夜の部

先日の「team GUYS」による『ハイ・ライフ』に続いての翻訳劇の観劇。いずれもが北米脚本家の原作である点、また男性ばかりで演じられる点で似ていた。

『ハイ・ライフ』の方は「これぞ演劇!」と思わせられ、今でもそのシーンが蘇ってくるほど素晴らしかった。不条理をこれほどまでにみごとに描いた作品は近年観ていない。演者たち――木所亮介 久家順平 永督朗 成瀬トモヒロ各氏――の演技力に感じ入った。小劇場系の劇団は運営が大変だろうと想像できる。その中で珠玉のような作品が生み出されているのを知り、うれしかった。元同僚の方々と同行したのだけど、お二人とも絶賛。これもうれしかった。

というわけで、今回も大いに期待して出かけた。以下がプロダクション。

翻訳:谷賢一
演出:宮田慶子
出演:柳下大、平埜生成、高橋和也

また、「グノシーサイト」に載っていた紹介文が以下。

「オーファンズ」は、1983年の初演以来、何度も舞台化、映画化され、日本では1986年に劇団四季によって上演された名作。アメリカ・フィラデルフィアで荒れ果てた暮らしをしていた親のいない兄弟が、ある男と出会い、優しさに触れて再生していく。

俳優集団D-BOYS柳下大が盗みで日々の生計を立て、弟のフィリップを養っている兄のトリート役を柳下大、フィリップ役を「劇団プレステージ」のメンバーとして数多くの舞台に出演する平埜生成、兄弟に大きな影響を与えるハロルド役を高橋和也が演じた。

ここにあらまし言い尽くされているけれど、これもある意味不条理劇。先日の
『ハイ・ライフ』とその点でも似ている。でも決定的に違うのがさいごにオチというかカタルシスがある点。三人の登場人物の葛藤がこのカタルシスをもって集結する。三角関係が環になって閉じる。一方の『ハイ・ライフ』、葛藤が一人の死をもって終了するのは同じでも、こちらにはカタルシスはない。登場人物四人が三人になるだけで、それらの関係は最後までフラット。劇中人物たちは「なにも学ばないまま」、関係を再生産しつづける。いかにもポストモダン。それに対して『オーファンズ』はいかにもモダン。脚本が最初に書かれたのがこちらは1983年。『ハイ・ライフ』は1998年で、このあたりにもその理由があるのかも。

『オーファンズ』の原作を書いたケスラーのWikiサイトをリンクしておく。リー・ストラスバーグの「アクターズ・スタジオ」で学び、役者としてスタート、その後脚本を書くようになった。『オーファンズ』はロンドン、ウェストエンド上演された際、アルバート・フィニーがハロルド役を演じ、オリビエ賞を獲ったという。映画化もされているよう。

ハロルド役を演じた高橋和也、慈愛に満ちた男を演じて秀逸だった。暴力的にしか対人関係を結べない兄のトリートを演じた柳下大は、文字通り体当たりの演技(東京公演と本公演であざがいっぱいできている?)で、心の裡の手なずけることのできない衝動を余すことなく描ききっていた。熱演!兄に支配されながらも外の世界への憧れを持ち続ける優しい弟、フィリップ役の平埜生成がとくにすばらしかった。外への憧れと怖れ。幼さから次第に脱皮、成長してゆく様をみごとに演じていた。ほろりとなんどもした。

舞台はフィラデルフィア。それもノースフィリー。最近はテンプル大学のおかげで、だいぶんマシになったとはいえ、あの辺りは歩くのが恐かった。地下鉄のオレンジラインが走る地上のブロードウェイ通りをずっと北に行くと、次第にうらぶれて来る。そこに兄弟の家がある。それだけでどういう生活を二人が送っているか、判る。わびしい。この芝居の中になじみのある通り名が出て来て、ちょっとうれしくなったけど、どれもが階層差を歴然と示していた。最近、ダウンタウンはファッショナブルになってきてはいるけど、やっぱり階層差は今も残っている。一旦そこに生まれてしまえば、なかなか這い出せない環境、それを嫌というくらい見せつけられるのが、アメリカ社会のある面でもある。